2016年3月17日木曜日

とうとう性悪女も根負けしたのか?

今朝はPCでの作業に気を取られていて、7時近くまで雨戸(シャッター)を開け忘れていた。何気に玄関のある廊下が異常に明るいのに気がついて、おっとり刀で雨戸を開けた。開けると同時に東の窓から強い太陽光がまるで意志を持っているかのように踊り込んできた。
こんなことは今年になって初めてのことではないかと思った。いよいよ春という季節は自分のポジションを盤石なものにしようと動き出したのではないかと思った。
テレビでは「春本番」とか「ぽかぽか陽気」とか「お花見情報」等々の毎年使い古されている言葉が踊り続けるようになりました。

いよいよ春本番であります。年寄りにはありがたい季節であります。日向ぼっこも昼寝もお散歩も気持ちよくできる季節であります。

歳を重ねてからの時間の経過は自分でも驚くほど早くて、時には愕然とするほどの驚愕を覚えることすらある。これまでの自分時間概念では、精神的にとてもついていけないことを感じることが多くなっていると思う。
こうなれば、自分で勝手に自分時間というものを決めて、それに沿って暮らして行く他はあるまいと思い始めた。普通の人、特に若い人の2倍から3倍ぐらいが自分にとっての適性時間ではないかと思う。他人が一日24時間で生きているのであれば、私は一日48時間、間隔で生きてちょうどいいように思われる。それで足りなかったら、さらに3倍の78時間を一日にすればいいのではないかと考えている。それで誰に迷惑をかけるわけでない立場に私はいるのだから。

などとしょうもないことを妄想していたら、昼過ぎには得意の妄想でも錯覚でもなく室温ぐんぐんと上昇しつづけ、最初上着を脱いだりしていたが、掃き出しのサッシを半分あけたりと、終いには四方の窓を全部開け放ってしまった。
こりゃあどうしたことだ。この暖かさ、いやこの暑さは本当に想定外でありました。四方の窓を開け放しても簡易温度計ではあるけれどもすでに25℃を指していました。
「ふ、ふふ、ここまでくればもう大丈夫だ。」一体何が大丈夫なのかわからないが、気分的そうなのだから、それでいいのだと思う。

3時近くになったので買い物を兼ねた散歩にいくことにした。そこでいつものように準備を始めたのだが、そこでハタ気がついた。それはこの陽気に分厚いコートではどうにも格好が悪いし、実際に暑くてかなわないだろうということであります。
これまでは。部屋の中でひどい服装をして仕事らしきものをやったり、ひくひく生活をしていたのだが、買い物ぐらいだったら、そのままコートなり上着を羽織ればそうそう中味はバレることはなかったのであります。
気がつかなかったな、暖かくなればそれなりに服装にも目を配らなければならないことを。にわかにそんな事に気がついても春に着るものなんて用意しているはずも、自分の衣装はどこにしまわれているのかを知る由もないのでありました。
仕方がないのでもう少し涼しくなるものを待って、昨日まで着用していた厚手のコートを羽織っていくことにした。
ちょういと大げさな物言いでありますが「人生いたるところに青山有り」でありますね。思わね伏線におたおたしているほかないのでありました。

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