2016年3月16日水曜日

ある日の買い物情景

昨日は暖かくてなんとシアワセな一日だったでしょうか。この陽気がまだ続きますようにと祈るのでありました。ただこの温度は季節が推移する毎に徐々にあたりまえになっていきます。それが常温であるとなんの感動もなく不幸を感じることもないけど、格別シアワセを感じることもなくなるのでしょうね。そのうちにこの暑さはなんとかならないかなあ、なんて愚痴のひとつも溢れてくるものであります。
ここ3日ほど寒さと雨で中断していた買い物散歩に早速でかけました。なんだか最近小学生の絵日記のような作文になってきたな。ま、それでいいのだ。素人がただだべっている作文なんですからね。
毎日のように同じスーパーに買い物に行っていると、自然買い物をするものが決まってきてしまいます。これも季節による気温のようなもので慣れてしまうと何の感動も呼ばないものだと気がつきます。
スーパーに一人で買い物に行き始めた頃は、誰も見ているはずもないのにどこかに気恥ずかしさを感じて、結構勇気のいるものでありました。
考えてみれば一人で飲食店に行くのも好きではなくて、ラーメン屋とか牛丼屋でも一人で食べに行くのなら、自宅でカップ麺でもす吸ったほうが気楽でいいやと思うやつなのでありました。そのカップ麺を買いにコンビニに入るのも本当は苦手なのでありました。
最近はだいぶ慣れてきましたが、買い物の量が少ないというのもとても恥ずかしいように思えて、必要でないものも余分に買ったりしていました。例えば弁当ひとつだけを買うということができませんでした。これもおかしな感情ですし不必要な思い込みであります。
それともうひとつダメだったものがあります。それはレジでの精算の時に財布から1円や5円を始めとして小銭を出してきっちりと精算するということができませんでした。財布を持ってレジの女の人が「合計2432円です」なんて云われてから「エート、エート」なんて唸りながら小銭を探すなんてことができません。後ろで待っている人にも悪いと思うし、レジ係りの人にも「何をこのジイさんはモタモタしてんだ、早くしろよ、こっちは忙しいんだからさ」なんて思われているのではないかという思いが頭をよぎります。
ちらっとでもそういうことが頭に浮かんだ途端に自分の顔が朱に染まるような気がしてきます。実際に赤らめているのかも知れませんけど。そんなことならスバヤク3000円を渡してお釣りを待っていたほうが精神的にはかなり楽なものがあります。
お釣りを貰ったら貰ったで、そそくさと金額を確認することもレシートと一緒にポケットにつこんでしまいます。札は札で札入れに入れ、小銭は小銭入れに分けていれるぐらいの時間は待ってくれるはずなのに、それすらできない私ってのはいったいなんなんだろうかと思ってしまうわけであります。

最近どうでも良いようなことをですね、細々とこれでもかと書くのって結構面白いなと思っています。私の昨日の買い物を題材にしてどこまでひつこく書けるのか挑戦してみたのですけれども、結果的には失敗ですね。
やはり、力不足がありありと出てしまっていますね。こういうものはいくら練習してもうまくはなりませんね。持って生まれた天性のようなものがあるような気がしてなりません。同じ場面の情景にしても力のある人が描写しますと、思ってもみない切り口と展開で読書を惹きつけてやまないものだと思います。
でも、どうでもいい場面をクドクドと書き連ねていくってのは結構面白ものがありまして、時間がとれればまたやってみたいと思っています。

0 件のコメント: