2016年12月31日土曜日

おだやかに大晦日です

かなり早く起きてしまったので、居間のコタツに入り年末のどうでもいいようなテレビをつけてダラダラと無為に過ごしていましたが、意を決して雨戸を開けましたら、なんともまぁ素晴らしい日の出ではありませんか。風もなく雲もなく今年の最後はおだやかに過ぎていきそうな気配でまずは安心であります。
どうでもいいことなのですが、いつの間にか爪が伸びてきたようで、キーボードがジツに打ちにくいのであります。このブログを書き終えたらさっそく爪を切らなければ。今年最後の爪切りになりますね。
そうそう、お風呂にも入って身を清めて信念を迎えなければいけませんね。このお風呂に入るというのは体力のない私にとっては一大事業なのであります。普段は何も考えずにお風呂に入っていましたが、頭を洗って、髭を剃って、体を洗うだけの作業ですが、全部終わって出て来るのは至難の技であります。出てきたら出てきたで着替えをして落ち着いた頃には、もうヘロヘロの状態であります。
朝食が終わったら今年最後の一大事業に挑戦したいと決心しております。たかだかお風呂に入るのに一大決心などとは大げさなと思われるかも知れませんが、これが現実なのですから仕方のないことだと受け入れることしかないのです。

これが現実だと仕方なく受け入れるしかないことが大変多くなったと感じる今日此の頃であります。

2016年12月28日水曜日

ありがとうと心から云いたい気持ちです。

なんとなくクリスマスが終わってしまって、年末年始休暇に突入した方も多いのかと思われます。私はというと、放り出さざるを得なかった仕事に追われてヒイヒイ云っている毎日であります。
ま、タイミングも良かったせいもありますけど、それほど深刻な事態にいたらずに、ほっと胸をおろしているしだいであります。
かなり体力も衰えてしまっていますから、日常生活のなかで自分の事は極力自分でやるという方針で少しずつではありますが、体力を戻す努力をしていますが、これがなかなか大変でついつい家族に甘えてしまっているというのが実情だったりもします。
このブログも今日は書かなければ、明日こそは書かなければなどと思ってはいるのですが、なかなか書き出せませんでした。
これを機会にリハビリも兼ねまして、また書いていこうと思っておりますのでどうぞよろしくお願いいたします。
また前回変な事をちょっとだけ書いてしまって、余分な心配をおかけしました皆様には申し訳ありませんでした。口だけはかなり元気になりましたので報告をしておきたいと思います。
体力のないぶんを口の悪さで補おうとしますから、しばらくは近づかないほうが無難かと思われますので近づく際には棒か何かで突いてみて見の安全を測ってにして貰えば幸いかと思われます。
とりあえず、急ぎご報告まで・・・・・

2016年10月19日水曜日

靴紐結んで・・・

8月のお盆休み過ぎに遅めの夏休みをとって、妻と二人で車中泊の旅4泊5日をだらだらと書き続けて、まだその旅が終わってないのに時はすでに10月の半ばを過ぎてしまいました。本当は青森県の竜飛崎まで行って帰ってきた話なのでありますが、文章はまだ男鹿半島あたりをウロウロしています。
これまでも、それほど筆が早いほうでは無かったのですが、これからも個人的な事情によりまして、ますます遅くなることが予測できます。それでもたまには覗いてみてやってください。時々は更新するつもりでありますから。
さて、ここからは続きとなります。

「靴紐を結ぶ」とか「おにぎりを持って」などという言葉を耳にすると、まだ子供だった頃のワクワク感がいきなり蘇ってくるような気がします。それは遠足の日の朝のことだったり、運動会の日であったりと、平穏な日常のなかで何の疑念を差し挟む余地もない子供心に今日は特別なハレの日なんだよということをはっきりと自覚させてくれるキーワードのひとつだったような気がします。
毎日のさして変わり映えのない日常生活では、朝食を食べて、後片付けをしてから、「さぁー、会社に行くぞー!」などという前向きな気持ちになることなどは年に数えるほどしかないのでありますが、旅先での気分はまったく違ってくるようであります。
いつもは気軽にサンダル履きですから出かける時に靴紐を結ぼうにも結ぶことはできませんが、やはり靴紐を結び直すというのは特別な作法のような気がします。だから気分だけは結び直します。「おにぎりを持って」というのも最近は糖質制限療法をきまじめに実行していますから、極力炭水化物は摂らないようにしていますのでこれも実行するにはいたりませんが、気分だけはガキの頃と同じように持つことにはしています。

夜中には私が運転を続けてきましたので、次の運転は妻の番であります。靴紐を結ぶような感じでシートベルトをきっちりと締めまして、男鹿半島巡りに出発であります。
4,5年前でありましたら、ほとんどの運転は私がやっていまして、妻がハンドルを握るなんてことは滅多になかった事でありましたし、妻の運転する車に乗るなんてのは考えただけで恐ろしくなったものでありました。
しかし、3年ほど前に緑内障を患ってからは、さすがに長時間の運転には耐えられなくなってしまいました。どうしたって妻に半分ぐらいの行程で運転をして貰うしかなくなってしまったのであります。

2016年10月13日木曜日

いよいよ出発ですが、後始末が最重要なのです

普段とたいして変わらない慎み深い食事なのですが、潮風を直接受けて、青い海に青い空の下で、のんびりと朝のひと時を過ごすというのは最高のご馳走であります。
沈む夕陽を目にしながらのんびりと酒を飽きるまで呑み、満天の星空をみながら寝入ってしまうというのも好きですが、朝のこのひとときも旅先での楽しみのひとつなのであります。
とはいっても、いつまでもこの場所にとどまっているわけにはいきません。まだ地元の人びとが本格的に行動を起こす前のひとときですから、夫婦ふたりだけで静かな朝の時間を過ごすことができただけの話であります。
私たちはどこまでいってもよそ者なのです。よそ者が必要以上に大きな顔をしていてはよくありません。やはりそこには慎み深さというものを持ち合わせていなければならないと思うようになったのは、数多くの放浪を体験して得た結論なのであります。

この素晴らしい朝ごはんを食べてくつろいだ場所は地元の方々が提供してくださっているものであります。トイレにしても水洗になっており、清潔に掃除がなされています。
それをあたかも当然のごとく思って傍若無人に振る舞うなんていうことは最初から旅する資格が無いと思うのです。いくら「旅の恥はかき捨て」なんていう言葉があったとしても決してあってはならない事だと強く思っているのであります。
どうも説教じみてきたけれども、互いに気持ちの良い旅を続ける鉄則だと思うに至ったのであります。
ということで、飛ぶ鳥後を濁さずであります。干してあった寝袋を片付け、イスとテーブルを収納し、簡単に朝の整理整頓が終わりましたら、車の周囲に余分なゴミが落ちていないかを点検します。最近は以前に比べますと煙草の吸殻や、食べ物の包装類等々のゴミが捨てられていることが本当に少なくなってきているように感じます。日本人のマナーが飛躍的に向上してきたことを感じます。たぶんにしてそれは民度の低いどこぞの国を反面教師にしているからに違いないと思っているのですが。
私が、なかでも一番注意を払っているのは食べ物の食い残しなどは、絶対に捨てないようにしています。私たちが何気なく捨てた食べ残しに野生動物が集まってきたら、地元の方々にも、また私たちと同じように車中泊で旅している人びとにも大きな迷惑をかけると思っているからです。たとえ液状のものでも決して捨てることはありません。洗い場がない場合はキッチンペーパーに吸着させてから、しかるべき場所に捨てることにしています。

いつまでもこの朝の静かで芳醇なひと時に浸り続けていたいのですが、限られた日数の貧乏旅であります。どこかで腰をあげて未知の世界へ向っての旅立ちの準備をしなければなりません。本当は未知の世界などではなくて私にとっては2回目の地なのですが、このように書いたほうがなんとなくかっこういいように思えたもんですから。
さていよいよ男鹿半島めぐりに出発であります。

2016年10月3日月曜日

案外役にたつジブロック

ぼんやりと海を眺めたり、昨日とはうって変わった快晴の青空を眺めたりしていたら、妻が戻ってきた。開口一番に「コーヒー、もう一杯呑みますか」と聞いてきたのです。

独り旅をしている時は、どうも流暢にお湯を沸かしてコーヒーを淹れるというのが面倒でしょうがなく、最初の頃はインスタントコーヒーを旅先で買い求めて朝一番にお湯を沸かしてポットに入れて賄っていたのですが、しだいにそれすら面倒になり、無糖のアイスコーヒーのペットボトルを買い求めて、それをチビリチビリと呑みながら旅していたのです。
朝食にしてもわざわざイスとテーブルを出して、調理器具をだして調理するなんてのも、かなり面倒に思われ、ありあわせのものがクーラボックスに入っていれば食べるけれども、何もなかったら、そのまま走り続けてコンビニかスーパーでもあったらそこが朝食の時間だし、ファミレスなどがあったら尚ベターなのでありました。
その点妻が同行すると車中泊による貧乏旅であってもぐっとリッチになるわけであります。さすがにコーヒーメーカーを持ち歩くのは邪魔になるのでやめてはいますが、コーヒー豆がパックに分かれているのを使用して、一杯、一杯作ってくれるので旨いです。
スバヤク、コーヒーのおかわりを作ってくれると朝ごはんの準備を始めました。本日の予定は男鹿半島をのんびりと一周するだけの予定でありますから別に急ぐ必要もありません。今夏の旅は男鹿半島を最終地にして、このまま自宅に戻ってもいいわけであります。

いつの頃からか妻はジブロックというチャックのついているビニール袋を持ってくるようになりました。タッパーの重要性は私も以前から理解しており、常に持ち歩くようにはなっていたのですが。ジブロックとはね。

道の駅などには産直野菜を売っているところが多いのですが、大抵の場合安くて新鮮で信じられないほど安かったりするわけでありますが、近所にあればなんぼ助かるかという話でありますけれども、旅先では安いからといってそのまま購入するわけにもいきません。
そんな時にジブロックを利用して一夜漬けや浅漬を作ってクーラボックスの中に放り込んでおくわけであります。そうすれば旅している間にちょうど食べごろになるわけであります。
それが毎食、サラダ代わりに食卓に並ぶことになるわけであります。私などは晩酌の時に漬物がないと我慢ならないものですから、これは大助かりなわけであります。

さっきまで一羽だけだったトンビがいつのまにか二羽になり、相変わらず無音でよりそうように円弧を描いていました

2016年10月2日日曜日

朝食を摂るのにちょうどいい場所が

夜が明ける時の展開はジツに素早いもので、東の空が白み始めるまでは、かなりもどかしいものなのだが、ほんの少しだけ申し訳程度に薄明るくなったと感じるまもなく強烈なお日様が顔を出し始める。旅先ではこのほんのわずかな時が私の一番好きな時間でもあるのです。

そうしてすっかり周囲が明るくなるのと同時に、普段は何に使っているのかわからないような大きな駐車場が海べりに姿を現しました。
駐車している車も見当たらず、入口側にトイレもあるようなので、ここで朝ごはんを食べる場所に決めました。海をみながらのんびりと朝の空気やら陽の光を楽しみたかったので、イスとテーブルを外にだしてセッテングをして、偵察を兼ねて先程目にしたトイレに向ったのでありました。
全体で長さが400メートルほどもあるような駐車場の真ん中に陣取ってしまったものだから、トイレまでの距離も結構ありましたが、ま、朝の散歩だと思えばなかなかいいではないかと思い開放感に浸りながらトイレを済ませて海岸のほうに目をやってみると、そこには大型のテントとタープを広げて寛いでいる若者が数人たむろしておりました。様子を伺っていたら、どうやらサーフィンをやりにきているらしいのであります。どうみたって波一つない静かな海べりでサーフィンなんかできるのかなという思いがかすったのですが、街の中をサーフボードを載せて意味もなく走り回っている連中に比較したらかなり許せる範囲なんだろうし、波の高い時もあるのだろうと一人納得させてしまった。
顔を洗ったり、歯を磨いたりしてから海岸に降りて潮の香りを楽しみながら車に戻ったら、妻はすでに起き出しているみたいでテーブルには淹れたてのコーヒーが2つ用意してあった。
周囲には妻の姿が見当たらなかった。私が一段下になっている海岸近くの小道をぶらぶらしながら帰ってきたので妻がトイレに向かうのと入れ違いになったらしいのです。

彼方の稜線に小さなトンビの影がゆるーく輪を描いて音もなく飛んでいる姿が目に入った。車の全てのドアを開け放ち、寝袋を裏返しにして干して、ベッド状にしてあった後ろ座席を元に戻し、簡単に荷物の整理をした後に、私は深く椅子に座って両足を投げ出して、まだ熱いコーヒーに口をつけたのでした。

2016年10月1日土曜日

ようやく夜が明けはじめまして

深夜というか早朝というべきかに秋田市内で燃料補給を済ませてから、いつものようにカーナビの設定を男鹿市の代表的な場所にしておいた。しばらくの間、暗闇の国道7号線を走っていたのですがようやく、ナビに促されて左折をした。ナビで指定した男鹿市の代表的な場所というのはおそらく男鹿市役所を指すのでしょうけれども、男鹿市役所が男鹿半島のどの位置にあるのかはまったくわからないので、とにかく行けるところまで行ってみて、それから考えようといういつもどおりのかなりいい加減な計画とも呼べないようなものであります。

今回の4泊5日夏休み旅行の3日めの朝のことであります。本日も含めて残りは後3日間ありますから気分的にはかなり余裕があったのも確かな事であります。

男鹿市の繁華街に近づいてくると共に周囲の闇は薄らいできつつあった。おそらく5時を少し回ったぐらいの時だったと思います。予想していたよりずーっと賑やかな市街地だったのですが、その自分で勝手に予想していたのは、まだ茅葺きの家々が点在しており、暗くなるとナマハゲが大きな包丁を持って跋扈しているぐらいの事ですから、男鹿市民の方々にとってはまったく失礼千万なものでありました。
ちょっと高台の方におそらく男鹿市役所があるようでありましたが、それを無視して直進しました。3分もしないうちにカーナビは目的地すなわち男鹿市役所へ戻れ戻れと盛んに囃し立てるものですから、路肩に停車してナビの案内を中止させて、後は半島を一周するまで何も設定しないようにしました。幸運なことに半島を一周りするように道路ができているようであります。
ほどなくして懐かしい日本海が顔を出しました。本日は昨日の愚づりがちな空模様と違って全面的な快晴であります。
海の色も真っ青、空も雲ひとつない快晴であります。漁村風景の中をのんびり走って行きます。たまに漁師の軽トラックらしいものが忙しそうに追い越して行きます。

2016年9月30日金曜日

再び日本海を眺めながら

あれ?男鹿半島って秋田市内からこんなに距離があったかなと訝しがりながらも、暗闇の国道7号線を北上し続けました。
以前に秋田市仁別の開墾地で百姓の真似事をやっていた時に5日間に渡って大潟村まで鶏糞を貰いに一日3往復したことがあったのです。男鹿市と大潟村は隣り合っていたような気がします。だから、その時に身に着けた距離感からいうとなんだか今回はとても遠く感じたのでした。
もっともその時は鶏糞をより多く開墾地に運び入れることが最大の目的であったので、頭の中は鳥のウンコのことで一杯であったから、周囲の景色はそれほど飛び込んでこなかったのは確かなことではあったのです。
その鳥のウンコもそんじょそこいらのウンコではないのであります。まさにそれは比内地鶏のブランドウンコなのであります。その貴重な鶏糞を好きなだけ持っていっていいというありがたい申し出に舞い上がってしまいました。また偶然にもタイミング良く、後、数日で廃車にしてしまうというボロボロの2トンダンプがあるとの話を聞きつけて交渉の結果、これも無料で借りるのに成功したわけであります。
不思議なものであります、これまで農業の経験などほとんど無かったわけでありますが、数ヶ月、土にまみれて這いつくばって汗を流していますと、自然、農業に対してどん欲になっていったのでした。
だからその時は、その距離からいって一日に2往復するのが限度だろうと云われたのですが、この機会を逃したら、この宝の山を手に入れるのは困難になるだろうと思い、かなり無理して一日3往復を5日間も強行したわけであります。
最初ダンプを借りられるのは3日間だけの約束だったのですが、無理を承知で平身低頭して後2日間延ばしてもらえないかと必死になって頼み込んだのであります。あの時は自分でも不思議なくらいに必死で懸命であった事を思い出します。
鶏糞にも熟成期間が1年ものとか2年ものというのがありまして、私が手に入れたのは確か3年ものだった思います。
3年ものともなればほとんど糞尿のきつい匂いが消えてしまっていますが、それでもかなり臭うことは確かなことであります。以前の私だったら絶対にそのような香りのする場所には近づかなかったでしょうが、これらのものがこれから育てる野菜の最高の栄養になるのだと思うととても良い匂いに思えてきて、まったく平気になっていったのであります。

男鹿半島を一周して再び国道7号線を北上し始めた時に、あの宝の山にみえた鶏糞熟成小屋を探してみたのですが、まったく見つけることができませんでした。

2016年9月28日水曜日

いつの間にか男鹿半島を目指します

旅行二日目の夜は海からちょっと離れて秋田市内の太平山にある公園で一泊しました。目覚めたのはまだ夜が明けるには3時間か4時間ほどかかるだろうという闇の中でありました。まだ行動するには早いとは思ったのですが、とりあえず次の目的地となんとなく決めていた男鹿半島を目指すことにしました。
運転席に座り、エンジンを始動させて何気なくガソリンメーターに目をやると、半分以下を指していました。うっかりして昨日燃料の補給を怠っていたのであります。このまま走っても楽々男鹿半島一周ぐらいは、できるぐらいの残量ではあるのですが、地方を走る場合は燃料には特別気を配らなくではならないのであります。
まして近年はカーナビにガソリンスタンドのマークがあっても廃業していたり、休業していたりという事態はままあることであります。男鹿半島に向かう前に燃料を補給することを決意して秋田市内を目指してみた。県庁所在地である秋田市でありますから、いい加減に走っていれば深夜スタンドのひとつかふたつはあるだろうと思ったわけであります。
最初は開拓時代に良く利用していた農協が経営するセルフスタンドを目指しました。もうすでに無効になっているだろうけれどもプリペイドカードに800円ほど残っているはずでしたが、まさか今回秋田まで遠征するとは思ってもいなかったので持ってきていません。おそらくこれからも使うことがないと思われるカードですが記念に取っておくことします。目指していた農協のセルフスタンドは残念ながら周囲の闇に溶け込んでしまっています。気を取り直して市街地を目指して走っていると前方にひときわ明るく自己主張をしているものが目に入りました。片側2車線都合4車線の道路の反対側にありましたが、まだ走っている車もほとんどない状態だったので無理やり進路変更を行い、なんたく24時間営業のセルフスタンドに潜り込みました。
燃料補給というのは結構面倒な作業であります。以前は自宅の周辺で車を使用する時はそれほど気にすること無く、残量計の警告ランプがついている状態などということも日常茶飯事でありましたが、あの3.11の東日本大震災を味わってから、できるだけ満タンに近い状態を保つことに心がけるようにしていたのであります。
ただ最近は「喉元過ぎれば熱さ忘れる」の例えどおりに、ついつい面倒になってしまい、なかなか不測の事態に備えることを怠りがちになってしまっています。それは燃料だけの問題ではなく、備蓄用の飲料水や非常食もおざなりになっている感があります。この機会にもう一度初心に戻って気を引き締めて行きたいと思ってはいるのですけれども。

なにはともあれ、とりあえず燃料を満タンにしてカーナビを男鹿市の代表的な場所にセットして準備万端であります。
妻はベッド状にした後ろの座席で寝袋に収まってまだまだ深い眠りのなかにありました。

2016年9月18日日曜日

基準は勝ち負けだけじゃないよね

人生勝ち負けだけの価値判断からすれば、あれは負けたんだろうかと思わないでもない。ただあの時の生活は実に楽しかった思い出ばかりなのであります。確かに広大な耕作放棄地を目にした時は、現実の厳しさをこれでもかと思い知らされたような気もしましたが。

2年間の百姓もどきの生活に見切りをつけて、4畳半の仕事場に籠もりきりになって、再びコードを相手にし始めた時には、どこかにほっとした気持ちもあり、ああー、これが俺の本来の姿だったんだなと安心した事も確かなことであります。
あの時の百姓もどき生活のなかで農業から得た収入は0でありました。燃料代やら肥料・種苗代それに毎日催す小宴会の酒食代等々すべて持ち出しになりますから大変な出費であったことも確かであります。
当然寝泊まりしている作業小屋にはパソコンを持ち込んで自分の食い扶持分は稼いでいたのです。そうでもしなければ素人が農業で身を立てるなんてことはとてもできたものではありません。

その日の夜は仁別にある大きくてかなり整備された公園の真ん中に陣取って、自分の胸のうちを妻には悟られないように、いつもよりも快活振る舞い続けて深い眠りの中に沈んで行ったのです。
これが今回の2泊目の夜のことでありました。
明日は男鹿半島を一回りする腹積もりになっていたのです。

2016年9月17日土曜日

もうこれ以上の感傷に浸っている余裕はなかったのです

まだ2016年夏休みの車中泊での旅を書き終えてもいないのに、去る9月12日から2泊3日で長野の旅に行ってきました。幼なじみのキクちゃんが是非俺も連れていけということで二つ返事で了解して旅立ちました。この話はいずれどこかで書くかとも思います。

話はまだ秋田市仁別あたりをうろついているのです。ここでは2年間のべ半年に渡りおよそ5000坪の耕作地を相手にして百姓の真似事をしていたのです。水道・電気・ガスなしのまったくもっと原始的なアウトドア生活を送ったわけであります。今考えるとジツに無謀としか言えないようなものですが、時々懐かしく思い返されるから不思議なものであります。
先にも書きましたが、妻が秋田の地を踏むのは初めてのことであります。ここまできたのだから、ドン・キホーテのごとく孤軍奮闘したこの地を是非見せたかったのであります。
メインの通りからはずれて一段と細い道に入り橋を渡り耕作地に入りました。
そこに広がっていた光景は無残としかいいようのない耕作放棄地でありました。本当はこの地に一泊して当時一緒に遊んだ近所の人たちを訪ねて酒でも酌み交わそうかとも思っていたのですが、そんな甘い考えは太平山の麓の谷に綺麗さっぱりと散っていってしまいました。

これは紛れも無く自分の敗北の後であります。これ以上この地にとどまって感傷にひたるほどの神経を持ちあわてないので、自然に無口になり、「さて、今晩のネグラを探そうか」と重い口を開いてボソリと告げると「あれ、今晩はこの場所に泊まるんじゃなかった?」と妻が怪訝そうに尋ねてくる。
「いや、もっといい場所があるから」と無言でもときた道を引き返すのでありました。

2016年9月10日土曜日

秋田大学医学部附属病院近くのマックスバリュが懐かしい

海沿いをひた走っていた国道7号線から離れて秋田市街に入った途端に恐れていたとおりに道に迷ってしまいました。もちろんカーナビにはがっちり目的地を指定してあったにもかかわらずにでありました。中央部にかなりおおがかりなトンネルがあり、そこは何度か通ったことがあったのですが、そのトンネルに入りそこねたのであります。まさかこんなに早くトンネルが現れるとは思ってもみなかったので慌てふためいたわけであります。
こうなるとカーナビはしばらくの間、そのトンネルの入り口に誘導するためだけの案内をし始めますから煩わしくしょうがありません。いくら秋田市街とは相性が悪いといっても、なんどか走り回った道でありますから、その内に見た覚えがある景色も出てくるだろうし、それをきっかけにして連想ゲームのように視界が開けてくるだろうと高をくくってヨタヨタと走り続けました。

10分ほど迷走したでしょうか、そこに確かに見覚えのある高いマンションのようなビルが現れました。あれは確か秋田大学医学部附属病院かもしくはその近所にあるビルではないかと思ったのです。とにかくあのビルに向ってさえいけば、もうナビに頼る必要もなくなるわけであります。

あの懐かしいビルの近くにあるマックスバリュには毎日のように買い物にでかけていましたし、隣のホーマックというホームセンターには農作業に関する鍬やスコップ等々を購入しにきていたのです。もうこの時点で道に迷うということはなくなりましたし、ナビの案内も不要のものとなったわけであります。
すでにこの時点で今夜の食料は確保してあったのですが、あまりの懐かしいのでマックスバリュに立ち寄ることにしました。私はこの店で生まれてはじめて自分でレジ精算をやったのであります。自分で購入した商品にバーコードリーダーをあてて合計額がわかったら、じゃらじゃらポケットに入っている小銭を何も考えずに放り投げておいて、残額を確認してあらためて紙幣を差し込むわけであります。これ私のようなズボラな人間にはジツに向いている機会だと感心したわけであります。

2016年9月9日金曜日

待てば海路の日和あり・・・

昼食を食べたり、おみやげを物色したり、日帰り温泉でさっぱりしたりしていたら結構な時間になっていました。駐車している車に戻ってコーヒーを呑んで電子ブックをながめたりしていましたら、雨が小ぶりになってほどなくしてところどころに青空がでてきました。
この時の時間が午後の3時頃だったと思います。雨がこのまま強く降り続いているようなら、この場所に泊まるのも悪くはないなと思っていたのですが、青空が見えるようではそうはしておれません。一応最終目的地と決めている「男鹿半島」までは少しでも距離を稼いでおきたいところであります。
そうと決まれば行動に移るのは早いです。カーナビの目的地は秋田市仁別の代表的な場所であります。そこは私が延べにして約半年間開墾に精を出していた農地のある場所であります。
ある程度の買い物も済ましておりますし、日帰り温泉に入りましたので後は夕方になってから晩酌をして寝るばかりなのですから、ただただアクセルを踏んでハンドルを握っているば本日の仕事は終わりであります。ん?いつの間にかドライブが仕事になってしまっているのは何か変でありますが、ま、この際細かいことは拘らないことにしておきましょう。

この象潟の道の駅では以前鍋の材料となる魚を買ったり、刺し身も購入した記憶があったのですが、店舗にあたる場所を大幅に拡張する際に、普通の魚屋さんはきれいさっぱりとなくなっていました。名物の岩牡蠣というものを提供しているお店が3つほどありましたが、ふーん秋田って岩牡蠣が名物なんだって、この時はじめて知った次第であります。

秋田市内に到着しました。本当はナビなんていらないぐらいなのです。なぜなら国道7号線をただただ北上しているだけなのでありますから。ただ秋田市内に入ると話は違ってきます。
その昔、知り合いから軽自動車を借りて市内を走り回っていましたら、完全に方向感覚がおかしくなって、どうしても知り合いの家に戻れなくなってしまいましたのです。
あの時は正直焦りまくりました。大きなスーパーの駐車場に車を入れて、そこの奥さんに電話をしてスーパーの名前とか特徴を告げましたら大笑いをして迎えにきてくれました。
その場所は、知り合いの自宅から何百メートルも離れていなかったのであります。土地勘がないというのはそういうもんだのであります。あれ以来カーナビのついていない車に乗る時は怖気づくようになってしまいました。

2016年9月7日水曜日

いつも拍子抜けするのは温泉です

日帰り温泉に入る時に拍子抜けする事があります。今回のように駐車場が満車状態の場合であります。あんまり混んでいるような温泉にはできるだけ入りたくないものであります。でも旅先ではまた違う温泉を探すというのも面倒なものですから、仕方がなく決死の覚悟で入浴セットを詰め込んだレジ袋を持って突撃していくわけであります。
うーん、この書き方では決死の覚悟が伝わりそうにはないですが、ま、とにかく必死な形相で向かうわけであります。湯殿は芋洗い常態化と思いきや、閑散とした状態で体から力が抜けてしまうなんてことがよくある話であります。

この時の象潟の道の駅の展望風呂もそのような状態でありました。4階までエレベータで上り、チケットを自動販売機で購入していざ鎌倉の気分で突入していきましたら、実際に風呂に入っているのは二人でありました。
高台から雨にけぶる日本海をみながら結構大きな湯船に体を沈めます。露天風呂こそありませんが、なかなかの温泉であります。
なかには5脚ほどの椅子が用意されており、体があったまったらその椅子に腰掛けて呆けるようにして海を眺めて過ごします。
サウナもついていますが、私はあの熱さが嫌いなので余程のことがないかぎり入ることはありません。まして水風呂なんて冷たいので大嫌いです。って、子供のようですね。ミストサウナぐらいだったら入らないこともないのですけれども。

何か温かいものを・・・そんな気温でありました

どしゃ降りの雨の中ですから、できるだけ本館に近い場所に駐めたかったのですが、なんだか知らんのですが駐車場はメチャ混み状態であります。
ま、こういう時に考えるのは誰しも同じような事なので、このまま降り続けるようであったら、この道の駅で時間を潰して一晩泊まってしまうというのも有りだなと思い直して、宿泊しても煩くないようなかなり端っこを探して駐車した。
とりあえず、トイレに行って、昼食をとって温泉に入っておみやげを買ったりしていれば結構な時間になってしまうだろうと思ったのだ。そのうちに天候が回復してきたらまた7号線に戻って秋田市内にある私の開墾現場に向かえばいいだけの話でありますから。こういう気楽さが車中泊の良さであります。
温海の道の駅に寄った時にみたパソコンの画面の天気情報では雨雲がかかっているのは山形と秋田あたりだけらしかった。つまり私たちの周辺だけが雨模様だったわけであります。そうそうこの象潟の道の駅も第一級の道の駅でありますが、途中で寄った温海の道の駅もかなりのものでありました。がそれは後の機会に

出る時に散々迷った末に持ち込んだ2本の傘が、この時ばかりはおおいに役に立ちました。まずは何か腹にいれないと空腹では苛立ってきていけません。数年前に立ち寄った時よりは魚屋さんや食堂の部分が増築されておりしかもかなり立派になっておりました。それに食べ物屋さんの数も増えていました。ピザ屋さんとか、焼き鳥さんなんかも増えています。
他のお客さんが食べているラーメンなんかがとても旨そうに見えたのですが、そこは糖質制限食をまじめに実行している手前ぐぐっと我慢をしてとろろ蕎麦の温かいのを注文しました。まだ夏ですから当然冷たいものを注文したくなるものですが、なにか温かいものを欲しがるような気温であったのです。まだ9月にもなっていないのに東北の秋はもうすぐそこまできていたのであります。

妻にとっては初めての秋田入りです

旅に出る時に持っていくかどうしようかと悩むのは椅子とテーブルと書きましたが、もうひとつ悩むものがありました。それは傘であります。今回も荷物を積み込んでいる最中に悩みましたが結果的に2本の傘を積み込んでおきました。この傘を1本にするか2本にするかというところでも迷ったわけであります。なかなか私たちバカ夫婦の旅は苦悩に満ち満ちているのでありました。
傘2本だけといっても狭いワンボックスのなかでは結構邪魔になるわけであります。それにでかける前から雨を想定するというのもなんだか嫌なものがありますからね。

さきほど立ち寄った道の駅鳥海は山形にあるのか秋田なのかがわからなかったのでちょっと調べてみました。山形の遊佐町にあるんですね。正式には「道の駅 鳥海 ふらっと」という名でありました。調査ついでにホームページにリンクを張っておきます。
そうか手を抜かずにこのように丁寧に調査してリンクを貼っておけばいいんですね。これまでの旅行記にもこうしておくべきだったと思うけど、生来不精ですからね。ま、いいか。
道の駅鳥海が秋田であったなら、妻にとっては初めての秋田入でありますと書こうと思っていたのですがすんでのところでやめておいて良かったであります。

雨の勢いは衰えることをなく遠慮会釈もなく空から流れてきます。ようやく日本海を見下ろすほんの少し小高い場所に道の駅象潟が見えてきました。この雨にもかかわらずと云って良いのか、この雨だからと云って良いのかはわかりませんが、思いの外駐車場は満車状態であります。
ここでも面倒がらずに検索してみました。ただしくは「道の駅象潟ねむの丘」といいますね。今の今まで知りませんでした。
確か4階に展望風呂が日本海を見渡すような感じでありました。その日は26日フロの日ということで通常350円の入浴料が300円ということでありました。こういうこじつけならいくらこじつけて貰ってもいいですね。
新潟から東北にかけての日帰り温泉の入浴料が異常に安いように感じました。都合4回ほど利用しましたが最高に高くて380円だったと思います。1箇所を除いてボディシャンプー・洗髪用のシャンプーがついてのことであります。これまでの経験からしますと400円以下の入浴料ですとシャンプーがつかないというところが多かったと思います。自然入浴料が400円以下の場合は用心のために携帯用のシャンプーを持参することになります。
福島県の道の駅喜多方だったのですが、まともな入浴料だったにもかかわらず、シャンプーも何もない状態で体を洗わないででてきた悔しい思いでがあります。こういうのは絶対に忘れないもんですね。
なんであんなに安いのか推察してみますと、おそらく日帰り温泉が乱立しているために値段は底に張り付いたままになっているものと思われます。私ら車中泊族のためにどうか潰れないであって欲しいと願うばかりであります。

2016年9月6日火曜日

妻に、にわか百姓をしていた農地をみせてやろう

とりあえず男鹿半島をナビに打ち込んだのだけれども、その前に私が数年前ににわか百姓をやっていた辺鄙な農地をみせてやろうという思いがでてきました。しかし、そこは慣れない秋田市街をクネクネと走らなければ行きつけない場所であります。
そこに行くには絶対にナビの設定をしないと私には行き着く自信がありませんでした。7号線を単純に北上すれば男鹿半島に行き着くことができますが、せっかくきたのですからね。しかし、その住所がわかりません。地元の人にとってはナビなどなくても簡単に行き着ける場所だと思います。なぜなら、そこには「ザブーン」というかなり大きな日帰り温泉があり、植物園があり、スキー場があり、キャンプ場があり、整備された広大な公園のあるところのほんのちょっとだけ手前のところなのです。
今思えばiPhoneのSeriに聞いてみれば良かったのです。それは後の祭りであります。秋田に住み着いた時に思ったことは、秋田というところは案外アイヌ語が語源となっている地名が多いということです。だから北海道で耳にしたり目にした地名が結構多いと感じだのです。これは多分にして私の個人的感想で学術的な見解ではありませんから。例えば秋田市内に旭川なんていう地名があります。それから今は失念してしまいましたが、そのような地名が数か所あって印象に残っているのであります。
それらの事を思い出していましたら、連想ゲームのごとく、「仁別」という言葉を思い出したのであります。別ってつく地名って北海道にも結構ありますよね。「悲別」なんてのはドラマで使った架空の地名か。とにかくナビで秋田市仁別と入れましたら、例のごとく「代表的な場所」がでてきました。
そして、その代表的な場所が先ほど説明した屋内温泉プール付きの日帰り温泉「ざ・ぶーん」だったのであります。

まだ、大雨の中「道の駅象潟(きさかた)」を目指して必死に目を凝らして国道7号線をひた走っているのでありました。

とうとう叩きつけるような雨が降り出しました

酒田市街をなんとなくといった感じで通りすぎてしまって、鳥海山が見えてきても良い頃だと思ったが、朝から曇り気味だった空も今にも降り出しそうな気配が濃厚となっており、鳥海山の影も形も認めることができなかた。
文字通りに鳥海という道の駅の案内看板がでてきたあたりから、本格的に降りだしてきました。この道の駅には確か産直野菜や海産物を販売していたような記憶があり、寄ってみることにした。それはどうも私の記憶違いのようで野菜は売っていたが、海産物といってもおみやげ用のものしか販売されていなかったので、妻は産直野菜と果物を仕入れたらしいのですが、二人旅の時はそのような買い物にはまったく興味がないので店舗の物色はまったくやらなかった。
まだ、ゆうべの埼玉夫婦の焼酎湯水攻撃のダメージが残っており、元気は回復していなかった。まだお昼をちょっと過ぎたあたりなので、長くこの道の駅に逗まっているのはいかにも勿体無い気がしたので先を急ぐことにした。

しばらく走っていたら、雨は益々激しくなり、バケツをひっくり返したような状態になってきました。その時に思い浮かんだのは象潟(きさかた)という道の駅であります。晩秋に一人で東北をうろついていた時に、そこでかなり安く魚介類を購入したことを思いだしたました。その時は秋田の日帰り温泉に入った後だったので、そこに展望露天風呂があったのですが、入ることも調査することもしなかったのであります。
とにかくこんな叩きつけるような雨の中を走り続けてもロクな事がないので、その道の駅で昼食を摂り、温泉に入って休憩をとることにしました。

この時点でなんとなく最終目的地は男鹿半島あたりだなという思いが出てきていました。今年の夏休みは関東近県の日帰り温泉をウロチョロと巡って終わりだなと思っていたことが、いつの間にかとにかく日本海の沈む夕日を眺めて一杯やり、波枕で眠りに落ちてしまうというものに変わり、妻に男鹿半島をみせてやりたいというものに変節していたのでした。

日本の男は総じて照れ屋であるし、素直ではないのだ

昨日自宅を出て新潟県あたりをうろついていたのだが、ずーっと良い天気で日本海の色もさわやかな色でありましたが、県境超えて山形県に入ったあたりから空模様はアヤシクなりつつあった。

まだカーナビの目的地は「酒田市の代表的な場所」に設定してあった。この「代表的な場所」とはどこなのかといいますと、いつも途中で設定し直してしまっているので最後まで走ったことが無いのですが、たぶんここでは酒田市役所を指しているのだと思います。
別段、酒田市役所に行きたいわけではないので、そろそろ設定を変更しておかなければいけないのだが、今回はこれといって最終目的地を決めているわけではなかったので困ってしまう。
そうだとりあえず庄内平野から眺める鳥海山を妻にみせておこうとだけ思った。
私は秋田でお百姓さんの真似事を少しだけの期間やっていたことがあるので、結構庄内地方を走り回っていたので妻よりは詳しいのであります。

あれはいつの頃だったか定かではないのですが、春の田植えの時期にたぶん秋田に向っていたのだと思います。庄内平野は昔から日本でも有数な米どころであります。それらの広大な田んぼが田植え前の代かきも終わり、満々の水をたたえて大きな鏡のようになっています。
そこに、まだところどころに雪をいだく雄大な鳥海山が、映っているのです。広大な鏡のような庄内平野に雄大な鳥海山が逆さ富士よろしく逆さ鳥海山となっている光景は今も忘れることができません。
おそらくもう2度と見ることはできないでしょうけれども、せめて鳥海山ぐらいはみせてやりたいなと思ったわけであります。

ある時、妻と同じような旅をやっている時に
「お父さんは、いつも一人であっちこっち走り回っているけど、ああ、こういう景色を妻にもみせてあげたいなと思ったことはない?」
と妻に聞かれたのですが、
「そんな事思ったこともないなぁ」
「・・・・・・・・」
などという会話をしたことがあります。その時はいつも自分だけ気ままに無目的に徘徊している後ろめたさもあり、それに多分に照れもあったから、そっけない返事になってしまったが、本心は違います、「うわー、スンゴイ景色だな、これをアイツにみせてやったら感動するだろうな」と幾度も思ったことは確かです。
しかし、日本の男は総じて照れ屋であるし、素直ではないのですから仕方のないことであります。

2016年9月5日月曜日

イオン系の店はあっちこっちにあるのでした。

そういえば、今回の旅行ではマックスバリュという大型スーパーが目につきましたし、3回ほど利用したかも知れません。
東北にはマックスバリュが多いのかも知れません。最近はイオン系のスーパーが増えていると感じます。伊勢志摩・南紀あたりを周った時はイオンの本拠地が近いせいもあって当然目につきました。北陸・中国あたりでも目につきました。
自分の住んでいるところでもちょっと考えつくだけで3店舗ほどあります。イオンの力をまざまざと見せつけられる思いであります。
旅先では買い物もひとつの娯楽であります。本当は地元資本のスーパーが面白いのですが、それはなかなか探し当てることはできません。どうしても国道添いの目についた大型スーパーを利用してしまいます。

また北海道独り旅の時の話になりますが、独り旅ですから手っ取り早く買い物ができればいいわけですからコンビニを利用することになります。どの店に入るかというと、やはり馴染みのあるチェーン店ということにどうしてもなってしまいます。
セブン-イレブンとかファミリーマートとかローソンとかですね。私の頭のなかはまだまだ都会の感覚から抜け出すことができません。
それは賑やかな都市でも小都市でもそれらの店はあります。しかし、今はそのコンビニ事情がどうなっているかはわかりませんが、都市を離れてしまいますと、私の知っているブランドのコンビニなんてのは目にすることができなくなります。
おそらくコンビニの場合はその流通の利便性を考慮して面で展開していきますから、遠く離れた過疎の町に1店舗だけを出店するなんてことがないからでしょう。
都会から離れていくにしたがって、目についてきたのがセイコーマートというコンビニであります。それまでも目には入っていたのですが、どうもわざわざ入る気にはなれませんでした。
もう、そのセイコーマートぐらいしか店舗自体が見当たらなくなって入るしかなくなったのです。そこで恐る恐る入ってみました。
そこはコンビニというよりもミニスーパーのような感じで、惣菜は充実しているは野菜や果物やお米まで売っているではないですか。
私のように車中泊をして旅する人間にはぴったりのお店でありました。なんでもっと早く入らなかったのかといささか悔やんでもみました。
皆さんも興味がありましたらセイコーマートを調査してみたら面白い事実がたくさん見つかると思います。もっとも最近はセイコーマートのマートを外してセコマになったらしいのですが、それは元来のコンビニの形態から脱皮する宣言のようであります。

先日家族でセイコーマートが話題になりまして「そういえば大洗の町でセイコーマートを見かけたよ。どうしてあんなところにポツンとあるんだろう」と私が話しましたら、長男が「それは簡単な理由だよ、苫小牧からフェリーでくるトラックの空きスペースを利用して商品を運んでこれるからさ」という話でありました。

単なるウスラバカ旅でもそれなりに勉強になるところはあるというお話でありました。

旅に出ても糖質制限食は崩せません

まだ鶴岡市の海沿いのMaxValueの駐車場で朝食を摂っています。妻が肉類を中心とした惣菜を仕入れてきたので簡単に食事を終わらせてしまおうという魂胆なのであります。

糖質制限食を取り入れた時から、野営の時の食事が随分と簡単になりました。糖質制限食というとわかりにくいですが、早い話が炭水化物をできうる限り摂取しないというものであります。よってお米や麦でできているパンや麺類等を完全にシャットアウトするのです。私はこれで重度の糖尿病から逃れることができたのであります。こんなに簡単な方法で3度の食事のたびに打っていたインスリン注射や血糖値測定もやることがなくなりました。
かかりつけの病院ではもう通院の必要はありませんとまで云われました。しかし、それでは不安が残ります。よって4ヶ月に1回だけ通院して尿と血液の検査だけをやってもらっています。
以前は、月に1回の検査でしたが、その間隔が次第に伸びてきて現在の間隔になったわけであります。
確かに月に1回の通院はそれなりに面倒なものがありましたが、1ヶ月を目処に食生活に注意を払えばいいので精神的には楽なものがあります。それが4ヶ月に1回となりますと順調にいっているのかどうなのか結構不安なものがあります。
もともと炭水化物大好きなわけでありますし、白いご飯に味噌汁に漬物があれば大満足な人間でしたから。糖質制限食に切り替えますとエンゲル係数が上がりますが、合併症の恐ろしさを考えると背に腹は変えられないわけであります。
病院では糖質制限食を奨励しているわけではありません。むしろその逆です。糖尿病が悪化して入院生活をしていた時の食事は、「え?これが入院食なの」と驚くほどの量が出てきました。それも特別なメニューというわけでなく、普通の食事であります。
最初の頃は退院してからの食事の参考にしようと全部の食事をスマホのカメラで撮っていたのですが、これはなんの参考にもならないとすぐにやめてしまいました。
病院の治療法は普通の食事を与えておいて、それを大量のインスリン注射で抑えてしまうというやり方でありました。
私はその治療法に大きな疑問を持ち、関係する書物を買い集め糖質制限食療法に行き着きました。それをやりはじめて1ヶ月ほどで絶大な効果が現れました。それから徐々に医者には内緒でインスリンの量を少しずつ減らしていったのです。それで3ヶ月ほど経過した時点で一切のインスリンの投与をやめたのです。もちろん医者には内緒であります。
半年ほどたった時点で医者は「そろそろインスリンはやめて良いかもしれませんね」と云ったので、「実は先生、もう3ヶ月ほど前から一切打っていないのです」と告白したのです。
それは先生も気分を害したのでしょう、もう完全に治ったからこなくていいよと絶縁宣言されてしまったのであります。
糖尿病なんてものは一旦かかったら完治するわけはないと思っていたので、必死に頼み込んで現在の4ヶ月に一回の検査となったわけであります。

2016年9月4日日曜日

辺鄙な場所にあるMaxValueで買い物です

「あっ、MaxValueがあった」と妻が声を上げたのは7時をちょっとまわった頃だったと思う。すでに新潟を後にして山形に入っていた。「MaxValueは確か24時間営業よ」と私の知らないことをいう。それならばとハンドルを右に切り、こんな場所には不釣り合いなほどの大きなスーパーとホームセンターが併設してある駐車場に入った。
だだ広い駐車場に数台の車が認められたので営業はしているのだろうと思う。昨夜は思わぬ来客が2組もあり、まだ旅を初めて一日目ということで食料のストックも少なかったのだけど、それでも歓迎の意味で持っていた食料を全力出ししてしまったので、朝食分は何も残っていなかった。
旅の鉄則として最低でも一日分の食料はストックしておくべきだと思っているのです。できれば2日分ぐらいがいいかと思っているのです。

北海道を独り旅している時に、素晴らしいロケーションの場所がありました。そこは高台で3方を海に囲まれて広大な芝生張りの公園になのです。北海道はこういう信じられないほど贅沢な場所がふんだんにあるから病みつきになってしまうのです。
そこにやはり独り旅をしている青年が、すでに椅子とテーブルを出して呑み始めていました。「ここ素晴らしいね」「でしょう、私も気に入ってしまってしばらくのんびりしようかと思っているんです」「旅は道づれといいますから、今晩ご一緒していいですか」「どうぞ、どうぞ」
その時には、まだ夕方の買い出しも終わっていなくて、そろそろ買い物をしなくては思っていた時なのです。そこには立派な不釣り合いなぐらいに立派な日帰り温泉もあったのであります。
「じゃあ、お言葉に甘えてご一緒させていただきます。その前にちょっと食料を調達してきます」
といって出たまでは良かったのですが、あんた北海道を舐めてはいけませんよ。いけどもいけどもスーパーなんてひとつも見かけることがありませんでした。
結局、2時間ほど走ってようやく小さなスーパーをみつけて冷たいビールと食料を調達したのですが、北海道の道を2時間走るということは200kmほど離れてしまったということであります。
もう、戻る気力はどこかに失せてしまっていました。
だからこういう場合に備えて、酒は当然としても乾き物でもインスタントものでもなんでもいいから最低一日分はストックしておくべきだと思うのです。災害の非常食と同じですね。
羅臼の道の駅でお会いした車中泊の神様と呼べるご夫婦の哲学はもっと徹底していました。最低でも1週間は常に持っているのだそうです。その神様夫婦は軽のワンボックスなんですけれど、3電源の冷蔵庫を積んでいるのです。「3電源とは:バッテリー・家庭用電源・LPガスです」その神様は一年中全国を旅して周っていて気に入ったところで1週間でも1ヶ月でも居続けるのだそうです。
だから最低でも1週間分の食料を持ち歩くのだそうです。
私にはそれほどの時間の余裕はありませんのでせいぜい1日か2日分ということになります。

さてそのMaxValueはかなり辺鄙なところにありますから、さすがに24時間営業ではなくて朝の7時から10時までとのことでありました。
私は昨夜飲み過ぎたせいでお店に入っていく元気もなかったので車に残ってラジオを聞きながら周囲を眺めていました。
なんとそこにはタクシー乗り場があり、2台ほどのタクシーがドアを開けてお客さんを待っているのです。お店からお客さんが出てくると運転手さんがトランクを開けて丁寧に荷物を積み込みます。これは地方ならの光景ですね。買い物弱者のために行政とタクシー会社とスーパーの3つ巴で協力しあっているのでしょう。やるね山形県
そしてしばらくするとまた新たな発見をすることになるのです。それは庄内交通のバスであります。小型の黄色いコミュニティバスのようなものが駐車場内のバス停に横付けするのです。おお、やる時はやるもんだね庄内交通とイオン見なおしたよ。

さっきから気になってはいたのですが、空模様がどうも怪しいけど、ま、車だしそれほど気にすることはないか、もう少しで酒田市の代表的な場所だからね。

ねぐらは明るいうちに 2

独り旅の時はすべてにおいていい加減で適当なのですが、妻と一緒のときはそうもいきません。せめて安全と思われるねぐらを選択するのは私の努めだと思っているのです。あまりにおかしな場所に宿泊していると警察に職質される場合だってあります。私の行くところはおまわりさんなんてほとんど見かけるところではないので一度も職質なんてされたことはありませんけれども。自転車で旅する人なんかは結構職質されるようであります。
北海道ではほとんどそのような事はないのですが、本州では旅館や民宿を利用しない旅人なんてのは乞食同様に思われてしまうのでしょう。これは仕方のないことだと思っています。
最近は道の駅がどんどんとできてきて、旅はしやすくなってきましたが、寝る場所はできるだけ道の駅でないところを探します。トイレや産直野菜とおみやげを購入する時だけ利用します。道の駅ってのは夜中でも結構出入りがあって煩いものなのです。よほどの事がないかぎりは避けるようにしています。山の上の頂上にある駐車場とか、鄙びた漁村の海の見える駐車場とか、とにかく丁寧に探してみると結構あるものです。

自分でいうのもなんですが、静かで景色が良くてという場所を探すのは天才的だと思っているのです。実際そうやってこれまで探した秘密の場所ってのはたくさんあります。
やはり、そういう場所を探すのは明るいうちに捜さないと見つからないものであります。

暗い時にどうでも良くて泊まったところがとんでもない場所っていう極め付きがもう一つあります。この時は晩ごはんを確か外食したのです。もう時間もかなり遅くなっていました。妻も子どもたちも後ろのベッドで熟睡しています。そんな時独りで運転していてもつまらないのでどこか静かなところに車を寄せて、一杯呑んで寝ることにしました。
結構外は寒くて窓を開けると冷気が容赦なく車内に流れ込んできます。エンジンを掛けぱなしにして酒を呑み始めました。冷えきった空にこぼれ落ちてきそうな満天の星であります。星というのはなんで見る場所によって一つ一つの粒があんなに大きくみえるでしょうか。
満足するほど酔ったのでエンジンを切って、子どもたちのところにいって誘い込まれるように眠りに入りました。

静かな朝です。静かなはずです、そこは大きな村はずれの墓所であったのです。昨夜はまったく気づかなかったのですが墓地の中央を走る道の上だったのであります。別にそれで変な夢をみたとか何か得体の知れないものがでてきたなんてことはなかったので、どうということは無かったのですが、私はすぐにエンジンをかけてそこからそーっと離脱しました。
だってこんなことが家族に知れたら、「お父さんとは二度と旅には行かない」なんて騒がれだす可能性もあるわけであります。こういうことは隠密裡に済ましておくに限ります。

もうひとつは、かなり怖い話なのですが、ここでバラしていいものかどうか迷うものでありますがよしておきましょう。
旅にでてテントや車に泊まるというのは最初は結構不安になるものであります。大概の場合は思い過ごしから自分の不安を不必要に増長させてしまうきらいがあります。私の書いた不適切の言葉でそれらに輪をかけるような事があっては申し訳ありませんからね。

でも、ひと言だけ、「どんな事があっても廃屋には泊まるな!」であります。

今夜のねぐらは明るいうちに・・・・・

遅めの出発といっても6時ちょっと過ぎだったぐらいだと思います。私たちの旅のパターンは午前中にできるだけ距離を稼いでおいて、午後からはその日の状態により前後しますが、日帰り温泉を探して入浴して、次にスーパーを探してその日の晩酌のおつまみを調達し、まだ陽のあるうちにその晩の寝床をきめて後はのんびり過ごし、夜はやることもないので早めに酒を喰らって寝てしまうというジツに単純なものであります。
寝床を明るいうちに探しておくというのは、夜中になると暗くてなかなかいい場所を見つけられないということがあります。今回は初めての場所でないからだいたいの見当をつけることができますが、大抵の場合は初めてのところばかりですから、自分がどんな場所にいて周辺がどのようになっているかを把握しておかないと結構不安なものであります。

かなり前の話になりますが、会社の同僚10人ぐらいで房総の御宿というところにキャンプにでかけました。会社の仕事が終わってから出発したものですから到着した時はかなりの時刻になっていたのです。別にキャンプ場を予約していったわけでなく、適当な場所があったらそこにテントを貼って酒喰らって寝ようというジツにいいかげんで杜撰としか言いようのない計画だったわけであります。
今は、どうかしりませんが房総なんていうところはジツに辺鄙な場所でありまして、街頭などというものはほとんどなく日が落ちれば漆黒の暗闇のなかで海の近くらしいというぐらいしかわかりません。
昼間の仕事の疲れと空腹と早く酒呑みたいという複合条件が重なりましてロクに周辺の調査などすることもなくテントを張りまして、とにかく、冷たいビール、ビールとなります。疲れた体にひとたびアルコールが入りますと、若さも手伝い元気になります。そうなると手のつけられない大宴会に発展していくのがバカ集団の常であります。
当時カラオケなどというものは影も形もなくて、男同士の宴会となるとアカペラの唄の合唱となるのが正しい姿なのです。少なくても私はそう思っていました。
そのバカ集団のなかに漁師あがりもしくは漁師の小倅などというのが数名おりまして、またこいつらは唄が抜群に旨いのであります。おもに民謡でありますが、ほとんど私の知らない漁の唄でありますが、声もとおるし聞いているとまるで自分も漁師になったような錯覚さえ覚えてしまいます。
「あいずだよ、あいずだよ、くじらのあいず」
最初に聞いた時に福島県の会津地方の唄かとおもったけど「合図だよ、合図だよ、鯨の合図 燈明崎からのろしがあがる・・・」そうです、森という男だったけど和歌山の漁師あがりでありました。
しかし、あいつが唄う唄はしみじみいい歌でありました。
ま、そんな調子で大騒ぎして、翌朝当然二日酔いでありますけど、テントの中で日がかなり高く上がっているのを確認して、宿酔いの頭をかかえておそるおそるテントから顔をだしてみると、そこは、ななんと人さまの大きな屋敷の中であったのであります。
このバツの悪さは今でも思い出すたびに顔が赤らんできます。それから今さら遅いとは思いますが、そうーっとなるべく物音立てないように海岸のほうに数十メートル移動していったのであります。

「へえー、で、どこからきたの?」「みなみぎょうとく」

最初は焼酎の水割りをきちっと正しく作って呑んでいたのですが、埼玉からのご夫妻の旦那さんが頻繁にビールのごとくドボドボ注ぐものだから、だいぶ酔が回っていた私はだんだん面倒になってしまい、気がつけば焼酎をそのまま口にしていました。

大分夜も更けてきたころに軽のワンボックスがやってきました。見るともなく目をやると、いきなり駐車場にドーム型の大型目のテントを張り始めました。どうも若い夫婦のようであります。駐車場にテントを張るという行為はこれまでほどんど目にしたことがなかったので驚きました。
それよりも驚いたのは、夫婦で交わす会話であります。英語と中国語ぐらいなら、内容はわからないけれども判別はつきますけど、彼らの言葉は皆目見当がつかないものでありました。
こうなってくると私の興味の対象は埼玉夫婦からいきなりテント張り夫婦に移っていくのでありました。酔った勢いに背中を押されるような形で、「こんばんは」と声をかけて見ました。そしたらきれいな日本語で「こんばんは」と返ってくるではありませんか・・・・。
あとはお決まりのパターンであります。10分後あたりにはそのいきなりテント夫婦も椅子と酒を手にして私たちのテーブルに座って旧知の仲のような雰囲気で宴会を続けていたのです。
本当はその情景をここで描写すればいいのでしょうけれども、その筆力がありませんので簡単に書いておきます。
「さっきの言葉は何語だい?」
「あれはポルトガル語」
「へえー、だったら日系のブラジル人ですか」
「ぴんぽーん」
「へえー、で、どこからきたの?」
「みなみぎょうとく」
「え!?みなみぎょうとくって市川の?」
「そう、千葉県のね」
いやはや、今日はなんていう日なのでしょうか、一組は埼玉のご夫婦で二組が市川の夫婦なんですから、ご近所同士まるでつるんで出かけてきたような感じであります。
もう日本に住んで20年だそうです。日本国籍も持っており、名前が太郎というのだそうです。また6ヶ月の赤ちゃんもおりまして、名前を猛(たけし)と命名したそうであります。
それが、長年溶接工していたのですが、最近いきなり10名ほどがリストラされてしまったそうであります。それでも暗い雰囲気はひとつもなく逆に逞しさを感じてしまいました。

そんなこんなで結構盛り上がっていたのですが、次の朝はそれぞれの目的地に向って早めに旅立ということで、お互いに「よい旅を」と挨拶交わしお開きとなりました。
今こう書いていて疑問がひとつ湧いてきました。日本在住20年にしてはどうみても20代のご夫婦だったなということです。だから子供の時に移住してきたのだろうと思います。ま、そんな事はどうでもいいか。

翌朝は二日酔い気味で起きだした時には二組のご夫婦の姿はありませんでした。事故らないでとにかく良い旅を続けてくれることを、ウスラボケ頭で祈るのでありました。

さてこの時点でまだ1日目を終えたばかりです。本日も含めて残り4日であります。もうそこに私の郷里山形がありますので、とりあえず山形県酒田市代表的な場所をナビを入力しておきました。



2016年9月2日金曜日

そこまでは聞いていないって

まだ旅の一日目の話でありますが、あっちこっと脱線するものですからなかなか先には進まないのでありますが、これでいいのです。だってたかだか新潟へ車で行っただけの話ですからたいして面白い話なんてあるわけがないのであります。

埼玉のご夫婦は昨年自営していた焼き鳥屋さんを畳んで隠居生活に入ったのですが、どうも仕事をしていないと落ち着かない、そこで昔からやりたかったアウトドアをやってみようと思い立ったということであります。そういえば車はワンボックスのビカビカ新車であります。これまで四国を1ヶ月ほどかけて周ってきたそうです。
他にも近くを泊まり歩いたそうなんですが、こんな風に見知らぬ人と和気藹々と酒を呑み交わしたことは始めてだそうです。あまりに感激してくれるもんですからなんだかこそばゆくなってしまいました。

私の経験からいいますと、夫婦で旅するとどうしてもそうなってしまうのです。だってまったく寂しくないわけですから、日常の家庭生活がそのままに外へ飛び出した状態になるわけです。当然他所の人とはまったく会話を交わす必要がないわけですから必然的にそういう状態になってしまうのです。普通の人はそれが旅だと思っているのです。

ある時発作的に独り旅にでかけた時があります。私の生活は基本的に朝から晩までパソコンの前に座っており、へたすれば一日中口をきかないなんてことも珍しくないのです。それでその旅をしている最中にある事に気がついたのです。どこへ行っても家で仕事をしているニート状態だということであります。仕事部屋が単に車の中に移っただけの話なのです。これではいかんのではないか、これでは旅に出た意味はないのではないか、と強く思ったのです。

そこで勇気を振り絞って誰でもいいから話しかける決心をしたのです。普段はプログラムコードだけを相手にしており、人と話すの本当に苦手なのであります。「こんにちは」のひと言が出てこなくてかなり苦労したことを覚えています。
最初に会話に成功したのは日帰り温泉の露天風呂のなかであります。「こんにちは、地元の方ですか」地元の人であればこの周辺の情報根掘り葉掘り聞き出しますし、他所から来た人ならばその人の住んでいるところの情報をできるだけ詳しく聞き出すことにします。
だいたい、休日でもない普通の日に日帰り温泉なんかにのんびりと浸かっているのは基本的に暇な方が多いのです。
「姉の嫁ぎ先がなぁ、あまり良くなくってな苦労したと思うよ。その姉がな、昨年ガンでなくなってしまってな」
そこまでは聞いてないって、「で、その姐さんの嫁いで行った先はどこなの?」必要ないって、そんな情報と思っていてもなんだか相手が話したそうなのでこちらも引くに引けなっくなってしまったこともたくさんあります。「それがな、千葉の船橋というところなんだよ」「あれ!俺その隣の市川というところからきたんだよ」「え!あんな遠い所からわざわざ」「で、何しにきたんだ」何しにきたんだと問われても明確な応えなどあるはずもなく困ってしまうのであります。



「北海道の風景は大雑把すぎて・・・」と若い女ライダーはうそぶいたのです。

20分ほど経ったころにようやく、それぞれの椅子と呑みものを持ち席についてあらためて簡単な自己紹介などをやり、旅談義に花を咲かせることになったのであります。
こういう時の話というのは結構有意義なものが多いのでおろそかにしてはいけないのであります。それぞれが実践してきた生の情報ですからあたり前の事でありますけれども。あれ?そういえばおじさん夫婦の名前を聞くのを失念していました。ま、それでいいのです。これまでの経験からしてもう2度とお会いすることはないのですから。

話によると埼玉県から今朝旅立ってきたらしいです。こうなると辿ってきたコースは私たち同じになってきます。そしてここからが違います。これから秋田の男鹿半島を周り、青森の竜飛崎へ寄り、青函フェリーで北海道に渡り、約1ヶ月間かけて一周する予定だということであります。これは本格的な車中泊による旅人ですね。
これまでなんども北海道を周りましたが、いつも1週間から10日ほどの日数しか取れませんでしたから、北海道へ行くまでの道中を楽しむという発想が湧きませんでした。新潟港から苫小牧へ行った一人旅の時だけ1ヶ月ほどをかけましたが、その時ですら、全面的に頭のなかを支配していたのは北海道だけでありました。

そうそう話はまたまた脱線してしまいますが、新潟港から北海道へ単身北海道に向った時にカー・フェリーのなかで男女二人のライダーと一緒になり、夜のふけるのも忘れて酒を呑みながら話し続けたことがあります。男のライダーの方とは苫小牧まで一緒しましたが、若い女のライダーは翌朝6時に秋田港で下船して東北旅行にでかけていきました。その時の女ライダーの話には興味をそそられました。
「なんで北海道でなく東北旅行なの?」「北海道は好きで好きで、アルバイトをしながら3年ほどいたんですよ」私はこの時に延べ日数にして1ヶ月ほどの滞在時間でありました。いやはやこれは筋金入りの北海道大好き人間だなと思ったわけであります。
「3年もね北海道にいると、最初は好きだった北海道の風景が大雑把にみえて嫌になるんですよ。だから今回はちまちまとした東北の風景のなかに身を置いてみたくなったんですよ」
なるほどな、感じようによっては北海道の風景はどこへ行っても大雑把なのかも知れないと思ったけれど、私はそのおおらかで大雑把な風景に憧れていたわけですから・・・・。そして今でも結構憧れているところはあるのです。

旅に必要なのは「常に整理・整頓・清掃」です

私どもの設営は簡単に済んでしまったのですが、おじさん夫婦のほうはかなり待っても準備ができません。後で聞いた話によると、道具が沢山有りすぎていつも探しまわらなければならないのだそうです。
うーんそれは私たちがキャンプをやり始めた当時の状態と酷似しています。今でこそ道具は厳選されてシンプイズベストのスタイルになりましたが、このスタイルになるまでウン十年の月日を重ねてきた結果に他なりません。
「じゃあ、寝る時なんかもっと大変でしょう」と聞くと「そうなのよ、寝る場所を確保するに一苦労するのよ」と奥さんが応えます。これは決して笑い事ではありません。一番最初に約1週間ほどの北海道旅行に出かけた時にはまさしくその状態であったのです。
大型テントに大型の自立型タープ、ガス炊飯器、ホンダの発電機等々と家財道具一式を詰め込んみ、それに親子5人ですから、まさにギュウギュウ詰めの状態であります。
それでキャンプ場に着けば毎回大型テント・タープを組み立てご飯を炊き、味噌汁をつくりと今考えれば信じられないほどの労働量です。それでその場所に数日間いるのであれば納得できますが、夜が明けるかどうかの時に、朝食を摂って、すべての住居を取り払い撤収であります。
それで夕方に別の目的地に着けば再び設営であります。本当にバカでしたけれども、若くてパワーもあったなと我ながら感心してしまいます。

現在は基本的に足を伸ばしてゆるゆると寝られることが一番重要なことだと考えています。その為に外に荷物を出すということもやりません。寝る時も全部の荷物が車の中に収まるということも重視しています。目覚めたらすぐに動き出せる状態に常にして置くというのが鉄則になっています。
基本車の中はスカスカの状態にしておくという主義です。とは云っても着替えやら簡単な炊事道具やらで、荷物自体は結構な量になってしまいますけど。

だからこそ、出てくる時の準備で悩んだのは椅子とテーブルなのであります。

また重要なのは製造業ではないのですけれども、「常に整理・整頓・清掃」なのであります。私が運転している時には妻が後ろの座席で荷物等の整理・整頓・清掃をやります。もう次にやることがわかるわけですから、それに備えておくわけであります。こういう時も荷物が少ないとすぐに終わってしまって観光に専念できます合理的なわけであります。

椅子とテーブル持ってきて良かった

お日様さんが水平線の彼方にすっかりと沈み込んで夕陽の残照が少しだけ残っている時にカメラをぶら下げてしぶしぶといった様子で帰ってきました。地方での夕暮れは太陽が沈んでしまえば急速に大気の温度をさげていくものであります。
それぞれのトアを大きく開け放しておくと日中とは打って変わって涼しい海風が通り抜けていきます。本格的な闇が訪れるまでにはまだまだ時間がありそうです。

これまで駐車していた車のほとんどはいつの間にか姿を消しておりました。この時点で留まっている車のほとんどは車中泊者であります。数えてみると私の車の他に1台しかありませんでした。

普段の生活でそれほど会話のある夫婦だとは思わないのですが、こういう特別な環境に置かれると違ってきます。妻も滅多には口にしない缶チューハイに口をつけているせいもあり、よもやま話に花が咲きます。
気がつけばおじさんが一人、木材を模したコンクリート製の手すりに身を寄せて、海を眺めています。これはタイミングだけの問題なのですが、そのおじさんと偶然に目があってしまったので、反射的に会釈をしたのです。
そしたら、思いもかけない元気な声で「こんばんは」と返ってきたのです。そこから会話が続き結局離して駐めてあった車を私の車の傍まで移動してきました。
どうせなら、一緒に酒呑みでもしようという話になりました。そうなるとこちらは手慣れたもので準備するのは半端でなく早いのです。
というのも毎回こういう旅では見ず知らずの旅人と一組か二組と一緒に大宴会になってしまうというのを経験しているのであります。

旅の準備するときに椅子とテーブルを持ってでるかでないかで結構迷っていたのです。長野や山梨あたりの近場だけで過ごす時には必須アイテムでありますが、長距離を走るとなると椅子とテーブルは結構邪魔なものなのであります。
この時こそ持ってきて良かったなと思ったことはありません。もっと遅い時間になるとこの4人にもう一組の夫婦が加わることになるのです。


2016年9月1日木曜日

とうとう太陽も観念したように沈み始めました。

昼間のうちにはどれほどの権勢を持ちあわせているのかと思われるほどのパワーを発揮していたお日様さんもようやく、その衰えをみせながら海原に沈み始めました。

私は、静かに杯を傾けながら明日のことなどに思いを馳せています。妻は、どこへ行ったのやらカメラを手にとって出て行ったきり、お日様さんが完全に沈むまで戻ってきませんでした。

この時になぜだか、滅多に聞くこともない加山雄三の「夕陽あかーく、地平のはーて」というフレーズが突然に頭に浮かんできて、無性に聞きたくなったのであります。
それまでJAZZオンリーのBGMだったのですが、どこかのプレイリスト入れていたことを思い出して加山雄三を探し始めたのです。旅に出るときはいつもiPadClassicを持参します。大体5万曲近く入っていますから、どんな長旅でも大丈夫なのですが、最近このiPadClassicも疲れてきているみたいでディスプレイの文字が薄くなってしまっていて読みにくいのです。それでなくても緑内障の手術をして視力がかなり低下していますから尚更のことであります。こういう時に妻がいれば簡単に探し当てられるのですが、肝心な時はいつだってこの調子であります。だんだん腹がたってきたのですが、ようやくの思いで探し当て流しました。
「夜空を仰いで」とか「旅人」とかなかなか、このシュチュエーションにあっているではないですか、危うくなりかけていた私の気持ちも、以前のシアワセなものに変わっていったのでありました。
こういう時の酒は本当に旨いですね。旅に出て一日目に迎える夜ですから結構興奮気味でありますから、クイクイとお酒が進みます。


感動や感激は伝染るもんなんですね


国道7号線で新潟市内を駆け抜け雄大にゆっくり流れる阿賀野川を渡ってほどなくして左折して7号線と並行するような感じで走る国道に入ってからは左側の窓には常にと云ってよいほど日本海を眺めることができます。
その頃から妻の様子が違ってきたように感じます。「見てみて!海だよ海・・・」まるで初めて海を見たようにはしゃぎ始めたのです。「うるさいなぁ、さっきから見ているよ」
思い起こしてみたら、去年だって長野から糸魚川を抜けて北陸の日本海を右にみながら島根まで走り抜けたのです。もっとも福井までは以前にも足を延ばしたことがあったので、そこまでは高速道路を使い、そこからが国道8号線で走り抜けたので、これほど近くに海の近くを走ったわけではありませんでしたけれども。
隣で「いいねぇ、いいねぇ、素晴らしいね」を連発されますと、本当のところそれほど感動していたわけではないのに、なんとなく自分にもそのワクワク感が移ってきたように感じます。感動や感激というものは連鎖するものなのだということを実感したわけであります。
それからどんどんと北上していき、笹川流れに近づいて行きますと、妻はますます逆上的に興奮していくのでありました。

かなり前の話になりますが、徳間書店で地図を出版するという話があり、その調査をウスラボケのけー坊と一緒にアルバイトでやったことがあります。その時の調査範囲は宮城・山形・新潟だったように記憶しています。
その時に笹川流れに差し掛かり、ウスラボケのけー坊が云うには「ユキオあんちゃんはこの笹川流れが好きでわざわざここを目指してくるんだよ」と云ったのです。「へえーこんな所にわざわざくるんだ」「うん、アニキも結構変わっているからね」などという会話を交わした覚えがあります。
その後も2度か3度この場所を通った覚えがあるのですが、その時も仕事がらみであったり、自宅を目指してのついでであったりしたので心の底から風景を楽しむという雰囲気では無かったのであります。
今回は思いの外妻が感激してくれましたので、自分でもその気になって景色を楽しんでみるとその良さがじわじわと理解できるのでありました。

道の駅笹川流れに到着しました

最初は仮の目的地だったはずの「道の駅笹川流れ」に到着しました。それは新潟県の北のはずれにある村上市にありました。以前にそんな道の駅があったかなと思ったことを書きましたが、到着してみたらそこは何度となく通ったようなところでありました。それは道の駅というよりも、ローカル線の駅といった風情で気にもとめずに通過しただけのところでありました。実際なんとか本線という鉄道の駅も兼ね備えていたのです。
その狭い駐車場に車を駐めてはみたのですが、そこから海が見えるわけでもなく、潮騒の音を聞きながら深く眠りに陥るなんてい雰囲気でもありませんでした。
その手前にそれほど大きな場所ではないけれども、海が一望に見渡せて、しかもトイレもあり、洗い物をするための水道までついているパーキングがあります。「おっ!ここがいいね」といって車を駐めてみたのですが、この場所よりも、目的地にしてある「道の駅笹川流れ」のほうがいいかも知れないので、見るだけは見てみようということで車を進めたのでした。
あの貧弱な道の駅を見てからの決断早かったのであります。もときた道を戻ること1kmほどでしょうか、夕陽が見渡せてなるべく静かな場所を選んで駐めました。
夕陽が日本海に沈むまでは、小一時間ほどはありましょうか、それでも本日の予定はすべて終了してしまいましたから、後はちょっと早いけど妻と二人で旅行初日の小宴を張ることにしたのです。
妻の宴会の準備の速さには私も舌を巻いてしまいます。おそらく10分もかからないものだと思います。
真ん中の椅子をワンタッチで前に倒すとテーブルになります。私は助手席の椅子をグルント後ろにまわして対座にします。後はクーラボックスの中からおつまみと酒をだせばそれで終わりなのであります。今夜のメーンディッシュはお刺身の盛り合わせであります。
いつの間にか今回の旅の目的のひとつに日本海の採れたての新鮮な魚を食べ歩くというのがあったのですが、世の中そんなに甘いもんではありません。スーパー以外の魚屋さんと見つけることができませんでした。本当は海の近くの道の駅で野菜のように魚介類を売っているところを期待していたのですが見つけることはできませんでした。だから今夜のお刺身は途中で寄ったイオン系のスーパーで購入したものであります。

何年か前に次男坊と二人で富山あたりを車中泊で旅をしたことがあります。「お!この刺し身ウマイネ、さすが富山だよね」「それカナダ産って書いてあるけど」「・・・・・・・」「お!この牛肉さすがにウマイネ、さすが富山だよね」「それ、オーストラリア産って書いてあるけど」「・・・・・・」

空には今にも落ちてきそうになっている満天の星であります。周囲は漆黒の闇です。暗いランタンの灯のしたで父親と息子などというものは、それほど話題があるわけでなく、時折りボソボソと言葉を交わしながら切りなく酒を呑み続けたことを思い出します。
そのうちにまあるいお月様が顔を出してかなり下の方にあるダム湖にもほっかりと浮かびました。

2016年8月31日水曜日

「ここはどこ???わたしはだぁれ」の状態って

今回「道の駅笹川流れ」を探した全国道の駅マップなのですが、これは確か2年前の四国一周の旅をやった時に購入したものだと記憶しています。いつもなんの下調べもしないで出かけるものですから結構現地で本屋さんを探して、そこで詳細な地図や観光ガイドマップを買う時があります。
あれは何年前の事だったでしょうか、家族で北海道旅行に行った時であります。この時は珍しく大洗港からサンフラワーというフェリーを事前に予約してでかけました。これ以降3年にわたって夏になると北海道へ取り憑かれたようにでかけて行ったのです。
波も穏やかで25時間ほどかかって苫小牧港に到着しました。もう嬉しくしょうがありません。ここまでは良かったのです。
フェリー乗り場から少し走りますと国道にでます。当時は確かナビは持っていなかったと思います。
大きな道路案内の標識が目に飛び込んできました。左が札幌右が確か旭川だったと思います。
それを見て私の頭のなかは一瞬真っ白になってしまいました。地名はわかります、おそらくテレビのニュースとかドラマあたりで聞き慣れているのです。でも位置関係がまったわからない事に気がついたのでありました。「ここはどこ???わたしはだぁれ」の状態であります。
関東であれば、右、埼玉 左、東京なんて出ていても位置関係がある程度頭のなかに入っているものですから、それだけでなんとなく目的地近くまでは行くことができますが、北海道、四国となるとこれはまったくのお手上げであります。四国なんてのは県の位置関係がまったくわかっていなかったのでありますから。
北海道では慌ててコンビニに入って簡単な地図を手に入れまして事なきを得たわけであります。案外コンビニ置いてある地図ってのは安物のやつで、やはりそれなりの書店を探して購入したほうが無難なように思います。私の周囲にはまともな本屋さんが無くなってしまいましたが、地方に行くとまだまだ立派で大きな本屋さんがあるものです。この「全国道の駅マップ」なる本も確か香川県の大きな本屋さんで購入したものです。地図売り場がどこにあるかわからなかったので、店員さんに旅の途中であることと四国に関してはまったく知識がないことを伝えて探してもらいました。そしたら店員さんは私たち夫婦のみすぼらしい格好をみて、こいつら車中泊者だなと見破ったのでしょう、ついでに四国日帰り温泉ってやつも持ってきてくれました。おかげで快適な四国の旅を送ることができました。
今回は新潟ですからおおよその位置関係はわかりますし、長男が愛用しているオートバイのためのマップを借りてきているのです。これは侮りがたいものなのです。ライダーのための情報が結構細かくでていますから重宝します。
いくらナビがついているといっても、やはり全体をすぐに見通せる紙の地図というものは便利なものであります。

ナビに仮の目的地笹川流れを設定する

ナビの設定が新潟市内の代表的な場所のままになっていると「戻れ!戻れ!」と煩くて叶わないので、駐車帯に車を寄せて取り敢えず別の場所を設定することにしたのだが、その際に海岸沿いを走りたいのだが、どの場所を設定すれば見当もつかなかった。
その時に浮かんだのが2度ほど通ったことのある「笹川流れ」というところであります。しかし、これは地名であるはずもなく、住所を入力するにも山形と新潟の県境あたりだというぐらいはわかるが、有名な建物も見当がつかなかった。
傍らで全国道の駅マップなる大判の地図を眺めていた妻が「あった!道の駅笹川流れってのがあったよ」と叫んだのでありました。「え?あんなところに道の駅なんてあったかな」と一瞬怪訝に思ったけれど、道の駅なんて現在でも増え続けているのだから、そのものズバリの「笹川流れ」であるのなら電話番号を打ち込んで設定完了であります。
それでもこのまま7号線を走らされるのでは適わないなと思いある程度コースを追ってみましたら、私の思惑通りに7号線を外れ日本海側にぺったりと張り付くような国道を走るではないですか。

大きな阿賀野川の渡るとすぐに7号線を離れてすぐに海岸沿いの国道に入りました。左側には大きな大きな日本海です。沖の方にはたぶん海底油田のリグだろうと思わるものが浮かんでおりました。
これ以降取り敢えずナビで指定しただけの「笹川流れ」が目的地化していたのであります。そうと決まると後の行動は簡単です。次は日帰り温泉を探して入ることと、スーパーに寄って今晩の晩酌のおつまみを調達するだけの話であります。それさえ済ませてしまえば後は気に入った場所を見つけて、夕陽をながめて酒を呑み、潮騒の音を聞きながら心地良い眠りにおちるだけの話であります。

と、思っていたのですが、その夜は思いもかけない事が起こって、知らない旅人同士の大宴会に突入していくのですが、それまではまだかなりの時間を経なければならないのであります。

燕三条・長岡を過ぎて新潟市内へと

以前から日本海側の国道7号線とか8号線が好きだったのですが、どこでその国道が入れ替わるのかは知らなかったのです。ネットでちょっと調べてみればわかる事なのでしょうが、ついつい面倒になり調べることもしていませんでした。今回の旅で、それは新潟市内で切り替わるのだということを知ったのであります。これを知ったからといってなんてことはないのですけれども、標識が7から8になるだけの話で道路の品質が極端に良くなるとか逆に悪くなるなんてこともなく、気がつかなければ何事もないことでありますから。

一番最初に新潟市内を走ったときに驚いたのは、その国道7号線であります。この喩えが適切かどうかはわかりませんが、私の住む千葉県の京葉道路のようなものが、新潟市内を縦につらぬいております。それはあくまでも国道7号線なわけでありますから、無料であります。これには本当に驚きました。いつ料金所が現れるのかと警戒していましたが、そのようなものは最後まで出てきませんでした。これはおそらく新潟県が産んだ田中角栄先生の影響だと強く思ったしだいであります。
その田中先生のおかげで新潟市内のごちょごちょとした道を走ることなく通り過ぎることができるのであります。これまで数えきれないほど新潟市内を走りましたが、これはいいことなのか悪いことなのかの判断はつきませんけれども、いちどもゆっくりと新潟の街を眺めたことがないのも確かなことではあります。

ま、とにかくこの京葉道路のような無料の自動車道に到達すると新潟にきたなと実感するわけであります。今年の夏休みは近場で日帰り温泉にでも入ってのんびりと過ごすというものから、とにかく日本海の沈む夕日を眺めて酒を呑み、潮騒の音を聞きながら眠りに陥るというものに変節してきたわけでありますが、このまま7号線を北上しても進行方向左側に日本海があるのはわかりますが、7号線を離れてもっと海側の道を走らなければなりません。しかし、どこから左側に入っていけばいいのかは見当もつきませんでした。ナビの設定は新潟市内代表地点となっていますから、すでに新潟市役所から離れはじめていますから、戻れ戻れとうるさく叫んでおります。

2016年8月30日火曜日

まだ旅は始まったばかりなのです

苗場ICから国道17号線に入り、のんびりと走り続けます。お米で有名な魚沼市を通り抜けます。

以前に福島の奥会津檜枝岐村から尾瀬の入り口の駐車場を後にして、くねくねとしたつづら折リの山道を永遠に走り抜けて奥只見湖にたどり着き、独り2日間ほど過ごしたことがあった。
まだ夏の盛りだったのに、人の姿をみかけることもなく、どんよりとした蒼いダム湖の水の色が不気味に思えて、そこからぬうっとネス湖の恐竜のようなものが現れそうな不気味な雰囲気を感じたものであります。
こうなると一人旅というものはいけません、妄想が勝手に独り歩きしてしまって、どうにも自分の手には負えないものに育っていくものであります。さすがに3日めの夜をその場所に泊まる気はしなくて新潟側へ一目散に逃げた覚えがあります。その時に通過したのが山古志村であり、魚沼だったような気がします。
その時はそのまま南下して糸魚川まで抜けて、長野の白馬村にたどり着いた記憶があります。だから魚沼を通るたびにその時の恥ずかしい思いが蘇ってきてしまいます。今回は妻とのふたり旅でありますから、あの時のように孤独があらぬ妄想を膨らますことないだろうから、あの限りなく寂しいダム湖に泊まるのもいいかも知れないとおもった。
そこで、「ここから奥只見のダム湖に行ってみてはどうだろうか」とおずおずと口にだしてみたのだが、以前に酔っ払った時に奥只見の恐怖体験をかなり大げさに脚色して話したことがあり、その時の話をまだ覚えていたらしく、間髪を入れずに拒絶されてしまった。どうもいつものサービス精神が災いしたようであります。話を面白くするためとはいいながらも、あまりに大げさに脚色していけないなと反省することしきりでありました。

新潟県に入ったからといっても新潟市まではかなりの距離を走らなければなりません。それでも道はかなり整備されているし、風景も都会の無味乾燥なものとは違い、風景そのものがごちそうであります。新潟の印象に残るもののひとつがかまぼこ型の車庫であったり、倉庫であります。なるほどあの形であったらいちいち雪下ろしをすることもないからいいアイデアだと以前から思っていました。
私の故郷は同じ雪ぶかい山形でありますから、同じ条件なのに同じような建物をほとんど見かけないのはどうしてだろうかと考えこんだことがありましたが、私が考えついたとしてもどうにかなるもんでもないので途中でやめておきましたけども。
とにかくまだまだ旅は続くのでありました。

無事に帰ってくることが最大のおみやげなのです。

今年の夏休みは、乏しい予算のこともあり近くの日帰り温泉にでも行ってのんびりと過ごそうとなんとなく決めていたのであります。だが行き先は具体的にはっきりとは決めてはいなかったのだが、山梨や長野あたりを徘徊してみようと思ってはいたのです。
こんないい加減な計画はいつもの事で自宅を出てからも決まってないなんてことはよくあることであります。またなんとなく決まっていても突然に変更するなんてのも結構あることなのであります。

これは余談になりますが、何年か前におなじようにお盆過ぎに3日ぐらいの予定で長野の上田へ避暑にいこうと思いついて独りでかけたのですが、そのまま新潟へ抜けて国道7号線を北上していたらカーナビの画面に新潟港がでてきまして、そこに北海道行のカーフェリーの航路が示されているのを発見して逆上してしまいまして、そのままフェリーに乗って約1ヶ月間の北海道行きとなったこともあります。もう若くはないのでそんな馬鹿な真似はとってもできなくなってしまっているし、今回は妻も一緒ですから無謀な徘徊癖は抑えられていることは確かなことであります。

今回もとりあえず勝手知ったる長野あたりに行ってから決めればいいやと思っていたのであります。途中に東京に抱きつくような形で長々と横たわる埼玉の街中を走っても面白くもなんともないので、三郷から高速に載りとにかく埼玉を蹴飛ばすことを考えた。
群馬県に入るあたりから日本海を見てみたい、日本海だったらどこだっていいけど、一番手っ取り早いのは新潟県に出るのが正しいだろうと、長野方面に向かわずに関越道をそのまま新潟を目指したのでありました。
新潟が近場なのかどうなのかは見解が別れるところでしょうけど、このあたりから、ごく近場でのんびりと日帰り温泉に入ってという予定からは少しずれ始めているような気がするのでありますが、この時点ではこの夫婦はまったく気づいてはいなかったのであります。

新潟県に入ったあたりから、このまま高速道路を走るのはいかにも勿体無く思えて、苗場あたりで下の一般道路におりました。空の蒼さに、ぽっくりと浮かんだ白い雲はなんとなく秋の気配をまとっているのがわかります。山はまだまだ深い緑色です。のんびりと田舎の山道を楽しんで走ります。

2016年8月23日火曜日

旅に「たいしたことのある」ものを見つける楽しみ

遅ればせの夏休みでありますが、まだ行き先は決まっていない。これはいつもの事であります。本州の西の方は山口と広島を残すだけとなっているのだが、本来なら迷わずにそちら方面を目指すべきだろうけど、先日も書いたとおりに今年は懐具合がかなり寂しいので泣く泣く断念することにする。
四国は何年か前に訪れているので、残すは本州の一部と九州なのであります。
今時、車を使って日本一周したからと云ったって誰の感慨も呼び起こすわけでもないのだから、別段それほどの執着を持っているわけではないからいいのですけれども。
これまで伊勢神宮と出雲大社と行ったのだから最後の仕上げは熱田神宮となるのだけれども、この選択肢もそれほど寺社仏閣が好きだというわけでもなから、それほど強い動機にも成り得ないのであります。
神社つながりで余談を申し上げれば、終戦の日に他国が大騒ぎする靖国神社の場所を調べてみました。以前に勤めていた会社の近くに「靖国通り」というのがあって、そうかこの道をとことこ歩いていけば「靖国神社」にいくのだなぐらいに思っていたけれども、とことこと歩いて行ったわけではなかったので、はっきりと場所を確認したことはなかった。さっそくググッてみたら、なあんだ講道館の近くではありませんか。あの周辺は取引先があったから結構ウロチョロしていたのですが、まったく気がつかなかったのであります。
私のところからは総武線一本で行けるわけですから、秋になってもっと涼しくなったら散歩がてらに参拝してみたいと思います。と云ってはみたもののかなり怪しいものがありますが。

昨晩晩酌をしていたら、妻が彼女の友人が佐渡ヶ島に行ってきた話をしていました。その話のなかで「たいしたことがなかった・・・・」という言葉が引っかかったのであります。旅談義でよく耳にするのは「どこそこへ行ってきたけど、たいしたことなかったよ・・・」であります。
「それではたいしたことがある」とはどういうことなんだろうということであります。旅先でデズニーランドのような施設があればたいしたことがあるということなんでしょうか。それならば自宅から30分ほどでいけるデズニシーにでも毎週のように通えば済む話ではないかということであります。
私にとってはデズニーランドなんてものはできた当時2度ほど行きましたけれども、もう2度といきたいと思わない場所なのであります。だから私にとってはかの場所は「たしたことのない」ところなのであります。
強引にこの話をまだ続けますと、旅というものは自分でたいしたことのある事を発見することだと思っているのです。
これは旅の話ではありませんが、散歩コースに小さな祠がちょっと離れて2つあります。地元育ちの人たちは庚申様といえば通じますが、私をはじめよそ者が大半をしめるようになった現在ではその名さえ知らないというのが実情であります。私も始め知らなかったのですが、それは馬頭観音を祀ってあるそうです。
ここからは私の妄想になりますが、この場所は以前は高射砲部隊もありましたし、かなり大きな部隊が配属されていたのです。当然軍馬も相当数飼育されていたものと想像されます。もっと詳しく資料を漁れば自分の住む場所の謂れを知ることができるものだと思います。残念ながら私にはそのような根気と情熱がありませんので、せいぜいこのあたりで妄想たくましくする以外しかないのですけれども。

旅するってことは見過ごしてしまいそうな何気ない風景や事物の中に、たいしたことのあるものを発見することも楽しいことなのだと思います。本当は地元の人と親しくなって聞くのが一番ですけれどもテレビの旅番組のようなわけにいかない難しさがあったりしますけれども。


2016年8月21日日曜日

ぼちぼちと旅の準備です。少し胸ワクであります

お盆休みも終わり、夏休みの旅行期間も一段落したところで、遅ればせながらの夏休みを取ることにしました。
以前は一年の半分ぐらいは旅に出ていたり、とんでもないところで暮らしていたりしたのですが、糖尿病が悪化して目をやられてからは極端に臆病になってしまって、ここ数年は独りで旅にでるということはまったく無くなってしまって、年に一度妻の夏季休暇にあわせて旅にでることだけになってしまいました。
以前はノートパソコン一台あればどこでだって仕事ができたので、仕事しながら旅をするんですと、言い訳ができたのですが、現在は超大型のディスプレイ2台を駆使して、そのあまりの画面の大きさに頭がクラクラするほどの船酔いに近いものを感じたりしながら一日の大半を過ごす身となりました。
旅先にこんなに大きな物を持ち込むことは不可能ではないけれども、あまりに面倒すぎるので、「仕事をやりながら旅をする・・・・」の言い訳は通用しなくなったわけであります。

一年ぶりの旅になりますから、それはそれで結構胸がワクワクしてくるわけであります。ここのところ、毎年結構遠くまででかけていたのですが、今年はエアコン二台を入れ替えたり、昨年の旅の途中に車のエアコンがだめになったのを夏前に修理したり、おまけに車の車検に20万超えを請求されたりと、それに任意保険が重なってふんだり蹴ったりの状態でありまして近場でお茶を濁すしかないなと諦め半分のような気持ちであります。近場に行くとなるとほとんどの場所を飽きるほど走り回っており、旅先を思い浮かべるとそれほど胸ワクしてこないのが少しだけ問題なのであります。

これはずーっと感じていたのですが、最初に車を購入する場合には、冬のオフシーズンにするべきだということであります。そうしないと夏場に旅しようと思った時に車検があったり、任意保険の継続契約があったりと肝心な時にお金がでていってしまうのです。これは本当に思慮が足りなかったなと深く反省しているわけであります。

2016年7月21日木曜日

ネットアプリはAccessで作成してから移行するのはどうですか

またしても、1ヶ月ほど更新をサボってしまいました。知り合いの会社のシステム作りを昔とった杵柄とばかりに安請け合いをしたのが運の尽きでありました。
もちろん自分の中にもどこのかのシステムを作って役にたってみたいという思いと、必死こいて一心不乱にコードと格闘した日々を懐かしむ思いもあったことは確かなことであります。

最初は、すべてインターネット上にシステムを構築して、スマホ・タブレット・PCと端末を選ばないものにしようと思ったのですが、それを断念して良かったと今ではホッとしています。
それをやるためには、私の現在持っているスキルでは何年経っても陽の目を見ることはなかったものだと思います。これまで簡単なアプリは作ったことはあります。それはMySQLとPHPとHTMLを組み合わせたものでありましたが、基幹業務となるとそうはいきません。
ユーザーインターフェースの部分にしても入力・編集・削除ひとつとってもJavaScriptもしくはJQeryを駆使しなければならずそれらを試行錯誤しているだけでも相当の時間を割かなければいけないことは明白なことであります。それにほとんどのSQLを忘れ去っていたのですから無謀な試みだったといえるでしょう。
ただ理想であることは確かなことであります。趣味的に研究を重ねることは重要な事だと認識はしているのでありますが。

そこで登場したのがマイクロソフトのリレーショナルデータベースAccessであります。最初は使い方がわからず慣れるのにかなり戸惑ったのですが、徐々に慣れてきましたら、本当に良くできているソフトだと感心しました。SQL言語もクエリーを自動で作成してVBAに貼り付けるという作業をくり返しているうちに徐々に理解できるようになってきました。Accessが吐き出したSQLがそのままOracleとかPostgreSQLとかMySQLでそのまま通用するのかどうかは試していませんけども、冗長な()を整理すれば基本的には大丈夫だとは思いますけど。今のところは必要ありませんけれども。

Accessでじっくりと作りこんだものを後にネットアプリに置き換えて行くのが正解なのではないかと思い始めました。Accessで概要設計・詳細設計を完了させ、なおかつプロトタイプを運用してから、ネット上に移行していくという流れが理にかなった、私のようにスキルのない人間にはぴったりのプロセスのような気がします。

2016年6月19日日曜日

バロックとブルースと紅乙女と

昨日は、柄にもなく気取ってみたくて「休日の朝はバロック音楽から・・・」なんて思いついて朝からAmazonのプライムラジオでバロックチャンネルにあわせて聞きまくりました。聞いてみると意外なほど違和感がなくてすんなりと受け入れている自分にびっくりしてしまいました。
普通のクラッシック音楽よりもずーっと聴きやすいし、なんか昔から当然のごとく馴染んできたような錯覚に陥ってしまいまして、結局一日中聴きいってしまいました。
夕方になって晩酌をしながらも、灯りをぐーっと落として薄暗い中で聞くのもなかなか雰囲気があってオツなものでありました。チェンバロやオルガンの曲もいいし、きっと賛美歌なんでしょうねその荘厳な合唱曲も、別にキリスト教信者でもないのに目頭が熱くなってくるような気にもなってくるから不思議であります。
この馴染みやすさって、若いころにプログレッシブロックを聴いていたからなのかも知れないと無理やりこじつけたりしています。ELP(エマーソン・アンド・レーク・アンド・パーマー)とかピンクフロイドとか・・・ちょっと違う気もするけどクイーンあたりの楽曲の影響が大きいような気がします。なんだかかなり無理のある解釈のような気がしますが、これほどバロック音楽に惹かれるのはそのあたりにあるのだと無理やり納得させてしまいました。

ヤオコーで購入してきた「ごま焼酎紅乙女」が大好きで、これがあるとついつい杯を重ねてしまって結構ヘロヘロになるまで呑んでしまいます。ごま焼酎に酔って、バロック音楽に酔いしれて、そして仕上げはいつものブルースであります。最後にはやはりブルースギターの鳴き音を聞かないと一日が終わった気がしません。しまいには、渾然一体となってしまいバロックなのかブルースなのかわけがわからんようになってしまっています。なんだか、この二つって似ているような気がしてなりません。
「どこがー!」っていうツッコミが聞こえてくるようでありますね。今夜も紅乙女を呑もうっと

2016年6月18日土曜日

とうとう扇風機をだしましたとさ

休日の朝の音楽はバロックからと、普段はほとんど聞くことのないバロック音楽を流しております。私のクラッシック音楽についての見識は「ま、仕事をする上で邪魔にならないからいいよね。」などという程度でしかないのであります。
ちょうど今、バッハのトッカータとフーガが厳かに流れているのですが、聞いている本人はひとつも厳かでないのが困りものでありますけど・・・。

そうそう、昨夜は、とうとう扇風機をだしてきてしまいました。まだ一台しか動いていませんけど、これがどんどんと暑くなってくれば、家中から集めれば最高5台まで増設することができますけれども。「あのねぇ、いくら扇風機を増設しても本格的な暑さになったらほとんど意味は無いですけれども。」

お昼ごはんを食べてから、妻と二人で近くのホームセンターと業務スーパーとヤオコーに買い物に出かけました。車のエアコンは一年ぶりに修理したので快適であります。よくもまあ、この一年エアコンなしの車に乗っていたかと思うと不思議な気にもなってきます。
それはいいんですけど、買い物から帰ってきて家に入ったら、なんの迷いもなくエアコンのスイッチを入れていました。んー、さっきの扇風機5台増設はどこへいってしまったのでしょうか。
これはね、朝からずーっと自宅にいて暑いのも扇風機でしのいでいて平気だったものが、車に乗ってエアコンの快適さを知り、各店舗でもエアコンで涼んできたのですから、もう扇風機の世界には戻れなくなってしまっただけの話です。
私はある時から、暑いと感じた時には迷わずエアコンのスイッチを入れることにしています。熱中症のこともありますし、それでなくてももともと温かい頭をしているのに、それにちょっとでも外部から熱が加わればオーバーヒートするのは確実ですからね。

ほんの小さなことでいいから、自分の自信につながる何かが必要なんだと強く思っています。

2016年6月17日金曜日

職業が性格を縮めてしまったのかも

最近気がついたことがあるのです。よく呑んだ席などで、「あいつが悪いから会社が良くならないんだ」とか、「バカな政治家ばかりだ」とか「公務員は税金で良い思いをしている」などと他人(ひと)様のことを斬りまくる人っているじゃないですか。
その気持ちもわからんことも無いのですが、以前からスゴイ違和感を持っていたのです。もっとも小学生・中学生の通信簿に「落ち着きが無い・協調性が無い」などと一貫して書かれていた奴ですから、あまり他人(ひと)様のことに感心がないという性格だったのも確かなのですが。

では最近気がついたことって何かといいますと、それは毎日ゾンビプログラマーをやっていて思ったのです。プログラムの動かないことって絶対に他人(ひと)様のせいにはできないことだということです。
政治家が良くても、上司が良くても、公務員の態度が良くてもアホなゾンビプログラマーの書いたコードがタコならば絶対に動作しないということであります。そして、それを他人(ひと)様のせいにしたって何も問題は解決しないということです。
良いも悪いも全部が全部自分に帰結するということであります。それ以外なにもないということですね。

すべて他人(ひと)様のせいにして問題が解決するのなら楽でいいですけれどもね。俺なんかひとたび他人(ひと)様の悪口を云わせたら半端でない破壊力を持っていますから、毎日でも悪口をいいまくりますね。それで現在開発中の営業支援システムが完成するのであればですね。

長年因果な商売をやってきたから、妙に性格が小さく縮こまってきたのかも知れないとも思いますが、長年、自分の能力の無さをとことん見せつけられてきた人生ですからね。

プログラミングは年寄りの暇つぶしには最適です

久しぶりに朝からお日様がギラッとした顔をみせてくれました。日中はかなり暑くなりそうな予報がでていますが、なんといっても私にとっては洗濯日和なのがウレシイのであります。
タイミングよく回していた洗濯機がビィ-ビィ-と洗濯が今終ったよとの合図をウレシそうに周囲に告げています。ヨシヨシ今日は一発乾きだかんねと私もニカニカ顔になるのでありました。
そのニカニカ顔でふとカレンダーを眺めてみると、すでに金曜日でありました。私の時の流れはここのところ近来にない早いスピードで流れ去っているような気がしています。

というのも、昔取った杵柄ということでシステム開発を安請け合いしてしまい、年老いたゾンビ的にわかプログラマー化してしまったからであります。こんなにシンドイものであったら・・・・、などとぶつぶつ言いながらも時間を見つけてはコツコツと、思い出しながら四苦八苦の連続を重ねているわけであります。その昔、プログラマー30歳定年説というのがありまして、その説に従えばその倍も齢を重ねてしまった私の場合はそれこそゾンビプログラマーなわけであります。

それで最近強く感じることは、システム開発は私にとっては壮大な暇つぶしなんだなということであります。あ、この言い回しはちょっと大げさで、少し格好をつけていますね。言い換えると「プログラミングは年寄りの暇つぶしには最適」と表現したほうが、ズバリと言い表しているような気がします。
いくら時間がかかろうと、正しいコードを書けば動くわけであります。間違っていれば当然ぴくりともしないか、おかしな動作するわけであります。動かないというのは絶対に私が悪いわけであります。こういう格闘というのは劣化した頭の活性化には素晴らしく有効なのではないかと思うわけであります。
やりはじめた当初こそ、ほとんどの事を忘れ去ってしまっており、思い出すまで結構苦しい思いもしましたが、最近はかなりの部分を思い出してきまして、自分の思っていたとおりに動くようになってきますと、結構楽しくて時間を忘れて没頭してしまっている自分を発見したのであります。
それとともにこのシステムを使う人を驚かせてやりたいなんていうヨコシマな気持ちもでてきまして、なにかスゴイ仕組みはないものかなどと考えるようになってきてしまっているのです。
こういう事をやる人間のどこかには自分の力を自慢したい、人を驚かしたいなんていう気持ちが必ずあるものであります。そんな気持ちが湧いてきたことに自分でも驚いてしまってもいるのであります。
若い時に基礎をしっかりやっていて本当に良かったと思っています。この歳になってから、一からプログラムの勉強をしようなんて絶対に思わないですからね。

2016年6月16日木曜日

まずは指を動かしてみないと何もはじまらないのだ

相変わらずマイクロソフトのデータベースAccessで四苦八苦しています。開発当初の思惑はこんなはずではなかったのであります。
昔とった杵柄でありますからほんの軽い気持ちで引き受けたのですが、自分の頭で思い込んでいることと現実には大きな開きがありまして、いくらその昔にはもっと大掛かりで複雑なシステムを作っていたのになんて云ったって、それはたんに年寄りの繰り言に過ぎないということを思い知らされてしまいました。
だから、結局一から勉強しなおしのような状態になってしまいまして、単純な仕組みそのものを組み立てるにも、いちいちネットで検索して試してみて実装するなんて事の繰り返しでありますから、まどろっこしくしょうがありません。

なんかいつも自分の頭のなかに厚い雲がかぶさっているような感じであります。
そうか、これが別の意味でクラウドコンピューティングなのだ、などと笑ってもみても、ひとつも楽しくありませんね。マイッタナ。

かなりの間、ネットでの仕事ばかりやっていたものですから、デバッグの方法まで忘れてしまっていて、いちいちメッセージボックスに値を放り込んで確認するなんていうバカな事をやっていまして、最近ようやくデバッグの方法がわかったという初心者もびっくりというなんともはやの状態でありました。

それでも最近はどうにか昔とった杵柄の感覚が蘇ってきたようで、自分の新たなアイデアなどを盛り込んでみようなどという気持ちがでてきたようであります。やはり、プログラマーは実際に指を動かしてコードを書いてみないと進歩はしないということですね。

最近は小さいシステムでいいから完璧なものを作るということが私の場合はとっても大切なことだと思いまして、システムの規模を極端に縮小しまして、ひととおりの機能を面倒がらずに織り込んでいこうと考えるようになりました。
もっとも、システムは小さく産んで大きく育てるというのが重要なことではないかと思いますけれども。

2016年6月13日月曜日

週のはじまりなのに気が抜けてしまいそうです

暗闇のなかに起きだしてすぐに、「ひょっとして雨か?」という思いがよぎるほど幽かな雨音が聞こえた気がした。まだ目覚めたばかりのことで足元も定まらないままに、ヨレヨレと階下の仕事部屋にようやくのことで辿り着いてはっきりとしてきたことは、それはひょっとしなくても完璧な雨音なのだということを知らされた。今は梅雨のまっただ中にいるわけだから格別驚くことではないのだけれども。

パソコンの電源を入れて最初にやることはAmazonラジオのサイトに跳んで音楽を流すことがおきまりになってしまっている。体調のいい時は、最初から「オール・ロック」なんていう威勢のよいチャンネルを選ぶこともあるのだが、今朝は起き抜けにロックではいささかゲンナリしてしまうので、ここは穏当に「ジャズ・ボーカル」などというチャンネルをチョイスする。こうして私の一日は「音楽の垂れ流し消費」という行為から始まるわけであります。

と、書いていて、そういえばクラシックってチャンネルを一度も視聴したことがないことに気がついた。そこで、ものは試しと「クラシック・室内楽」というチャンネルに変更してみた。
そして最初に流れてきたのが、驚いたのなんのって・・・・。これってけっして作って書いているわけじゃないんですよ。ここまで書くともうネタバレになっているかも知れないけれども、ここで流れてきた曲がなんとショパンの雨だれでありました。これ本当にホントだって。いやはや参ったね。

雨だれごときでのけぞってしまったバカタレは、そのバカを懸命に隠して今日もプログラミングをやりつづけるのでありました。
うーんなんだかな




2016年6月12日日曜日

ただボーゼンとしていた日曜日

昨日は久しぶりに、にわか洗濯男に変身したことを書いておきましたが、自分でも意外だなと思うのは「変身!食器洗い男」であります。この突然変異は自分で思うのも不思議なくらいに、かなり長い間続いていているのです。もちろん毎回全部の食器を洗っているわけでないのですが、二日酔いしていない限りは、ほぼ全部、しかも結構手を抜かずに洗い続けているのであります。

その昔、単身秋田のド田舎で、ガス・水道・電気なしの生活を半年ほど体験しまして、敢えなく挫折して我が家に帰り着いた時に一番に感動したことがあります。
それは蛇口をひねれば大量の水が惜しげも無く出てくることでありました。秋田ではもらい水でありましたから、貴重であります。食器を洗うのにも無駄にはできませんでした。だったら紙の食器を使えばいいではないかという話になりますが、私は住民登録をしていませんから堂々とゴミを捨てることもできなかったのであります。
だったら燃やせばいいではないかとなりますが、昨今はちょっとでも焚き火をすれば、すぐに誰かが駆けつけてきて厳重注意という事になってしまいます。ましてゴミを燃やしているなんていう事になれば・・・・。
その不便な生活を半年ほど経験した後に、水のありがたさを身にしみて感じるようになったわけであります。それ以来、洗濯とか食器洗いに大きなヨロコビとシアワセを感じるようになったことは確かなことであります。
もともと私はヨロコビやシアワセを感じるのに随分と安上がりな人間なのでありますけど。

そのかなり昔に小学生頃の通信簿には担任が必ず書き込んでいた言葉が、「落ち着きがない、協調性がないと」いうことでありました。
「なぁにを云ってやがるんだい、トンチンカンな事を書きやがって・・・」なんて当時は思っていたのですが、この歳になってみれば全部当たりすぎるぐらいに当たっているなと、当時の担任の先生方の眼力にはほとほと感心してしまいます。
この落ち着きがないというのは、三つ子の魂百までものことわざ通りに、今でもまったく変わりはありません。それどころか、最近は集中力もどんどんと失われてしまって落ち着きのないジジイになってしまっています。
そんな状態でプログラミングなるものをやっているものですから、ちょっとした壁にぶつかったりしますと元来の落ち着きの無さを存分に発揮するようになるわけであります。普通ならその越えるべき壁の原因をじっくりと調査するわけでありますが、もう切れてしまってじっとディスプレイの前に座っていることすらできなくなってしまって、台所に行って食器洗いなどをやったりしますが、すでに洗う食器が無ければ、急に掃除を初めたり、それもやった後では、やたら歩きまわったりするわけであります。
だから食器洗いを毎日、毎回続けているといってもその動機が結構怪しいものがあるわけであります。だから壁にぶつかる回数が多ければ多いほど私の周囲はどんどんと片付いて清潔になっていくという一概に単純にヨロコベないという状況にあるわけであります。

妻が仕事を休んで主婦でいる場合は、そうそうアカラサマに彼女の領域を荒らすわけにもいかず、ただ呆然として周辺をウロウロすることになるわけであります。そのような状態が本日日曜日の一日でありました。なんともはや

2016年6月11日土曜日

Accessの感動した隠れ機能2つ

久しぶりの洗濯日和でありました。それなりの洗濯量がありまして、せっせと洗濯物を干しました。こういう日は洗濯をしていても楽しいものであります。と書きますといつも洗濯をしているように思われますが、今日は何ヶ月ぶりかに洗濯男に変身したに過ぎないのですけれども。

本日は土曜日なのに珍しく家には誰もいないので、普段となんの変わりのない一日でありました。久しぶりに暖かいごはんに味噌汁という日本の正しい朝ごはんを食べようと思ったのであります。うーんちょっとわかりにくいですね。それを思い立ったのは昼ご飯まえの事でありますから、お昼ごはんに正しい日本の朝ごはんを食べようという話であります。
まずはご飯を炊かなくてはと思い立ちお米を探したのですが、どこにもその米が見当たらないのであります。そうか、この2年余り極力炭水化物を摂取しない食生活を続けていたものだから、家族もつられてしまって白米を食べない習慣が出来上がってしまっていたのであります。
今日の今日までまったくその事に気づかなかったというのもオメデタイ話であります。以前なら何はなくてもお米だけは家にあったのですが。
というわけでありますから、頭のなかは正しい日本の朝ごはんに満たされていたのですが、米を買いに行くのも面倒だったわけでありますから断念してしまいました。
ならばせめてソーメンでも食べたいなと思ったのですが、これは絶望的であります。絶対に麦でできているウドンやソーメン・冷や麦の類などあるわけがないのでありました。
しょうがないので買い置きしてある「韃靼そば」を茹でて食べました。蕎麦にもたくさんの小麦粉が入っているのはわかっているのですがいくらかはGI値が低いということであります。

奮闘しているAccessの話なのですが、ウン十年前からすればかなり進歩しているんだねということを二つ書いておきたいと思います。と云ってもその二つとも偶然に見つけたものでありますけど。
そのひとつは「ふりがな」機能であります。これは以前からあった機能であります。たとえば「名前」のフィールドに入力しますと自動でふりがなとふってくれるというものであります。
「やまだたろう」と入力して変換しますと「山田太郎」となってふりがなのフィールドには自動で「やまだたろう」と入力されます。これは結構便利なのであります。
ある日なにげなく名前のフィールドに「山田太郎」コピペしましたら、どうじにふりがなのフィールドに瞬時に「やまだたろう」と表示されたのであります。これには驚きましたね。何を貼り付けても結構正確にふりがなをふってくれるのでありました。うーん

もうひとつの発見は、テーブル定義をやっていてフィールド名を間違えて「seledt」なんてつけてしまった場合に、テーブルの定義を元にして、フォームやレポートやクエリーが作成されます。
こういう間違い良くあることなんですが、それを「select」などと一文字訂正したならば、これを元にして作成してあるフォームやレポートやクエリー全部の該当箇所を訂正しなければならないものだと思っていたのですが、これがなんと関係している箇所を自動て全部直してくれているのであります。これはジツにありがたい機能であると感心したしだいであります。
もっともこのような機能って前からあったのかな、知らないのはもしかして私だけだったりしてね。

2016年6月10日金曜日

皆でやろうよデータベースAccess

ウン十年ぶりかにマイクロソフトのデータベースAccessを使用してシステムらしきものを作っています。もともとAccessを使ってシステムを組んだことが無かったものだから、ほとんど一から勉強をしながらの作業となってしまっています。ただひとつ救われるのは多少はリレーショナルデータベースの概念がわかるということでありましたが、いざやり始めたら四苦八苦の連続でありました。
素人さんにも使って貰えるシステムを作るってことは、多少の知識があったからって、まったく役にたたないってことだけは身にしみて理解しました。大事なのは良質なユーザーインターフェースであったり、理解しやすい作業の流れだったりしますから結構細かい小技を身につけていないとダメだということですね。これがまた大変なことであったりします。
こんな事ぐらいは絶対にできるはずと思っていても、どうやったらいいのか皆目見当もつかず途方にくれる毎日でありましたが、苦しみながらも毎日触っているとなんとかなってくるものだということも実感するようになってきました。

その中で気づいたことのひとつは、Accessではクエリーという便利なSQL文を視覚的に生成してくれる機能があります。ところがこれが結構くせ者でありまして、最初は超便利に使っていたのですが、システムが次第に大きくなるにしたがって、クエリーの数も増えてきまして、どのクエリーがどのフォームで使われているのかが段々とわからなくなってきたのでありました。
命名の仕方が悪いというのも原因のひとつでありますが、更新クエリや追加クエリーのアクションクエリの類までそのまま実行させていたから尚更のことであります。
そういえば、以前はこんなやり方をやっていなかったなということをようやくの事で思い出しました。クエリーをSQL文にしてプログラム(VBA)のなかに埋め込んで使っていだのです。そうすればクエリーがやたら増えていくという事も防げるわけであります。
そうだそれがいっとういい方法だと思ったとこまでは良かったのですが、肝心のSQL文がどこに書き込まれているのかがさっぱりわかりませんでした。
それはクエリー画面の一番下の右端に小さなアイコンがひとつ出ているだけの話でありました。いやはやそれを見つけるまで半日以上かかってしまいました。

最初の頃は結構つらい作業でありましたが、少しずつ小技を身につけてきましたら段々と楽しくなってきました。なんだか毎日ゲームをやっているというか、パズルをやっているような気分であります。

ガンバレ マスゾエくん!!

梅雨らしく昨日までは雨が降っていましたが今日は梅雨の晴れ間ということで結構良い天気のようであります。梅雨という季節はそれほど嫌いではないですね。結構しっとりとして緑がますます色濃くなっていく季節ですからね。ただこれが3ヶ月も半年も続くとなるとたぶんウンザリしてしまうのでしょうけれども。

先日コーヒーメーカーのスイッチの部分が調子が悪くて新しいものを注文してしまったと書きましたが、実はこれが本当に悩ましいことになっております。新しいコーヒーメーカーが到着したのですが、これまで調子が悪かったスイッチが皮肉なものでまったくの正常な状態に戻ってしまいました。
せっかく届いた新しいコーヒーメーカーはダンボールに梱包されたまま仕事部屋の奥深くにしまい込まれてしまっています。正常に動作しているものをわざわざ捨てる気にもなれませんし、なんとなく今回は失敗したのかなと思わんでもないのですが、当然口には硬いチャックをしております。

そういえば、何日か前のブログにも書きましたが、東芝のREGZAというテレビのリモコンの調子が悪くて原因がわからないので、新しいリモコンを購入して試してみればリモコン側が悪いのかテレビ側が悪いのかの判断がつくと思ったのであります。
これがまた不思議な現象でありまして、初めの頃は新しいリモコンが調子良かったのですが、途中で新しいリモコンが調子悪くなったので古いリモコンではどうだとなって試すとサクサク動作するのです。こうなってくると二つのリモコンを交互に使い分けるという涙ぐましい努力を重ねてきたわけなのですが、最近は新しいリモコンにはまったく反応しなくなりまして、古いリモコンがサクサク調子がいいのです。混迷はますます深まるばかりであります。
最近ではテレビそのものがパソコンを繋いで映画やYOU TUBE等の動画を視るだけの単なるディスプレイ化していますのでそれほどの影響が無いのが少しは救われるものなのですが。

その本来のテレビとしてはあまり役に立たないテレビを最近は舛添君の大活躍を視るのが楽しみで久しぶりにワイドショーなるものを楽しく拝見しています。こういうのはジツに面白いですね。できれば舛添さんには任期満了まで頑張って欲しいものだと願わずにはおられません。

2016年6月6日月曜日

梅雨入りしたら、コーヒーメーカーが壊れてしまった。

もうすでに梅雨入りしているという。早いのか遅いのかの判断がつかないけれども梅雨入りしているというものを、どう文句を云ってみたってどうなるもんでもないから、ああそうなんだと云うしかないよね。

とうとうコーヒーメーカーが壊れてしまったようだ。スイッチを入れても連続して通電しなくて、ずーっと抑えていないとダメなのであります。ここ数日それでも我慢して使っていました。電気の知識があればすぐに直せるようだけれども、ガキの頃に感電してから電気が怖いのであります。
当然Amazonで調べたら、ドリップするだけのものだったら結構安いものがあったので迷わずに注文してしまいました。

コーヒーを淹れるたびにスイッチを押さえているなんて馬鹿なことはできませんからね。今さらのことなんですけれどもAmazonって単なる場所貸し屋なんですね。ただこれまで長年使ってきて酷い目に遭ったこともないので結構信用はしていますけれども。それから、こちらの情報を登録してありますから、他のサイトでまた一々情報をインプットするのが面倒だし、怖いような気もするので結局Amazonを使い続けることになってしまうようであります。旨いこと考えているもんであります。

2016年6月3日金曜日

素晴らしい日本をタビしたいんだけなんだ

今朝も順調に丑三つ時あたりにノロノロと起きだしたのですが、結構寒さを感じてしまって、面倒くさがりの私でも、さすがにTシャツ一枚では心もとなくて納戸にいって長袖のYシャツを引っ張りだして羽織りました。

昼の間、いくら暑くても朝晩が涼しければかなり楽なのですが、たとえ昼の時間帯に灼熱地獄であったとしても日が落ちれば涼しくなれば結構耐えられるものなのですが、ここ市川ときたら昼の暑さがそのまんま夜にも持ち込まれてしまうのは敵わないものがあります。

先日車のエアコンを一年ぶりに修理した話を書きましたが、そのエアコン壊れたのが昨年のお盆に休みに入る一日前でありました。場所は境港のちょっと手前だったと記憶しております。休み前ということで修理を断念してそのまま旅というか、放浪というか、場所を移動しての湯治というか、ま、基本的にはいい加減な私の日常を山陰もしくは中国地方にまで持ち込んだだけのことなのでありますけれども。
残す日程はあと3日だったか4日ほどであったのですけれども、エアコンのない車での旅はさぞ灼熱地獄との闘いになるだろうと覚悟をきめていたのですが、四方八方の窓を開け放して走れば風も結構はいってきてそれほど不快でもなかったのであります。
ただ周囲の車がビシっと窓を閉めきって涼しそうに走っているのをみると、結構恥ずかしいものがあるにはありました。特に交差点なんかで信号待ちしている時などは周囲から怪訝な光線を必要以上に浴びせられているような気がしてなりませんでした。それでも半日ほども走っていますとまったく気にならなくなってしまうものであります。

以前は、といいましてもウン十年も前のことでありますが、お盆を境にして狂ったような暑さは急速にその勢いを弱めていきまして、心なしか秋色の風が時折りそっと吹いてきたり、ひぐらしが哀愁をおびて鳴きはじめて過ぎ去る夏を惜しんだような気もします。
近年はお盆が過ぎてもいったいいつになったら涼しくなるんだろう、もしかして永遠に涼しい地上はこないのかも知れないと思ってしまうほどアジイ世界になってしまいましたけれども。
山陰もしくは中国地方の気候がそうなのか、たまたま昨年だけの話であったのかは判然としないのでありますが、旅に出る前に比べればお盆休みに入り格段に涼しくなってきました。なんといっても朝晩が涼しく感じられ車中泊でも熟睡できたのでありました。
エアコンが壊れる前はなんとなく萩を目指していたのですが、修理屋さんですったもんだしたりで時間を結構使ってしまったので、行っていけない距離でもなかったのですが、別段走り屋のユキオの真似をする必要もなかろうと最終は出雲大社あたりにとどめ、松江あたりをウロチョロして必要以上に暑いだろうと思われる太平洋側を避けて元来た日本海側をヨタヨタと家路についたわけであります。

エアコンの修理もしたし、さて今年はどこらあたりをうろつこうかと考えているのであります。北海道・東北・北陸・近畿・四国あたりを一応通り抜けたことにはなっているので、さていよいよ九州あたりにと思っていた矢先に、熊本地震でありました。別に車中泊で日本一周したからといっても別段とうってことないのですが、やはり心残りはありますけども、こればっかしはその機会が巡ってくることをじっくりと待つことにしました。

2016年6月2日木曜日

まだまだ大丈夫です。

朝晩が肌寒く感じるこの頃であります。ティシャツの上に一枚羽織るかどうかは思案のしどころですが、いつも面倒でそのままの格好で過ごしているから、それほどでのことでもないのでしょう。

「いってきまーす!」「ただいま!」なんていう元気のいい近所の女の子の声が時折聞こえてくる。近くに子どもたちの声が聞こえるというのはなかなか気持ちのいいものであります。他人(ひと)様のお子さんなのですがほんわりとした気持ちにさせられてしまいます。
今朝もたまたまリビングに座っていたら、元気のいい声が聞こえてきましたので、カーテン越しに覗いてみると、黄色帽子に赤いランドセルの女の子(ちびまる子そのものだ)が弾けるようにして学校へ走っていきました。唐突にまだまだ日本は大丈夫だという思いが湧いてきました。

同じ声の話なのですが、朝の5時近くにウグイスの声もときおり聞こえてきます。もう正調ウグイス鳴きでありますから、ひょっとしたらもう山に向かうことを断念してしまって、ここいらに住み着く覚悟をきっかりと決めたのかもしれない。またしても、まだまだ日本は大丈夫だという思いが湧いてくるのでした。

「ウチの紫陽花も咲き始めましたよ」と妻がいう。ん?俺んちに紫陽花なんてあったけかなと思っていると「昨年、私が挿し木をしたものですよ」という声が返ってきた。そうか私のまったく知らないところでそんなことをしていたのかと、少し見なおした。

今日のブログは夜も明けない時に書き始めて、なかなか筆が進まず、今日はこれまでだなとあきらめるまで半日もかかってしまった。ま、そんなもんですよね。ではでは

2016年6月1日水曜日

6月のはじめに

昨年の一番暑い夏の盛りに妻と二人で島根の出雲大社まで出かけました。これこそ文字どおりに青天の霹靂といいましょうか、鳥取と島根の境目あたりの日帰り温泉に浸かって、さてどこまで走ろうかと考えていた矢先に、どうも車内が涼しくならないのであります。
どうやらエアコンのスイッチが入らなくなったようなのです。まだ3日ほど旅程を残した時点で、進むも灼熱地獄戻るにも地獄のどうにもならない状況に追い込まれてしまいました。
境港あたりで修理屋さんに駆け込むも明日からお盆休みになってしまうのでどうにもならないと云われてしまいました。

うーん、これは困った。コマッタ、マイッタ。進退窮まるとはこういう状況をいうのだということを実感した次第であります。
この際あんまし関係ないんだけど、「オートバイにはエアコンはついてないがあんなに着込んで旅を楽しんでいるではないか・・・・・。」
まったく関係ないけど、「昔はエアコンなんてついている車などなかったのだ、だいたい最近の日本人は軟弱過ぎるのだ・・・・。」
「せっかくここまで来て戻るというのか・・・・。」「戻るといったって、かなり遠くまできてしまったているし、暑さは同じじゃないかい」
頭のなかはほとんどパニック状態でありまして思考は虚しく堂々巡りをくり返していくのでありました。

いつものことでありますが、私の旅は別に目的地が明確ではないのであります。家を出てから、なんとなく今回は西に行ってみるかとか北に向かうかなどというジツにいい加減なものであります。走っているうちにこれもなんとなく山口あたりがいいんではないか、などといった具合であります。そして途中で必ず大型書店探しが始まるのであります。これがなかなか見つからなのであります。ようやく見つけたそこそこの本屋さんで旅行ガイドとかそのあたりの地図を手に入れないと、いくらスマホ・パソコン・カーナビがあっても暗中模索の状態のなかで走り回るようなことになってしまいます。そこでいつものごとくようやく手に入れた旅行ガイドと地図を眺めて萩あたりがいいのではないかなどとと思っていたのであります。

パニック状態の堂々巡りを512回ぐらいまでは数えていたのですが、それ以降は数えきれなくなってしまって、結局一応目的というか目安というか山口県の萩あたりを目指したのでありました。

なんだか前フリだけが長くなってしまいましたが、本日のブログでいいたかったことはですね。先日その壊れていた車のエアコンを一年近くたってようやく治したというそれだけの話しでありました。
無用に話を引っ張ってしまって、スマン、スマン

2016年5月31日火曜日

5月のおわりに

今日は5月の最終日であります。今月こそは心あらためて、まじめにブログを書き続けようと固く決意していたのですが、どうも私の固い決意というものはまったくあてにはならないものらしく前半から崩れに崩れてしまいとうとう5月も終わりを迎えたわけであります。
こうとなればお決まりでありますが、6月にはまじめに更新をやり続けてようと固くカタク決意するのでありました。そうはいってもネタがないのだから困ってしまうのでありました。

数カ月前にずーっと空き室だった隣のテラスハウスに新たな家族が二組も同時に引っ越してきました。一組はまだ生まれたばかりの赤ちゃん一人の若い夫婦のようであります。もう一家族は小学校3年生か4年生の元気な女の子のいる家族です。
どちらのご家族の家族も顔を見たことがないのですが、時々聞こえてくる赤ちゃんの元気な泣き声や、女の子の外で遊ぶ声が聞こえてきて、その昔自分の子供達が幼かった頃のことを思い出させてくれまして、懐かしく思い出してしまいます。やはり自分の人生にとっては子供のいる生活ってのは他に代えがたい幸福な生活だったんだなとシミジミとしてしまいました。

これまで淹れていたコーヒの味がやたら濃く感じられてコーヒの粉の量をこれまでの三分の二まで減らしてしまった。それで別に薄いとも感じないのだから、味覚まで老いぼれてきたのかも知れないと思ったが、一日に呑む量が多いのだから、これでいいのだと無理やり納得させてしまったのだ。

Amazonのプライムミュージックにラジオというジャンルが追加された。これがなかなかいいのであります。ジャズという分野で流しぱなしにしておけば一日中ジャズが流れていますから邪魔にもならないし、余計なおしゃべりも一切ないので仕事をするにはちょうどいいのであります。

2016年5月27日金曜日

いやはや、なんとなく

いやはや、なんとなくまた長い間ブログ更新をサボってしまっていました。毎日ほぼ代わり映えのしない日常を送っているわけですから、そうそう書き込み事もありませんし、別段世の中に不満があるわけでもないですから基本的に情けない書き込みになってしまうのは必然的ですからね。

そうそう、最近のテレビを賑わせている東京都知事の舛添要一さんには笑ってしまいましたね。あの言い訳会見には笑いが止まらなくなってしまいました。
でも、人の噂も七十五日とかいいますからね、そのうちにあのまんま居座ってしまうような気配ですね。最初の頃はオモシロカッたのですが、やはりワタシ的には飽きてきてしまいました。ご愁傷さまであります。

朝から勢い良く降り続けていた雨が10時過ぎて少ししたころに静かになった。東の空からなんとなく明るさが見えてきたようであります。
サクラレンタルサーバーでRubyOnRailsが動作するという記事を見かけたので、環境構築のやり方を追ってみた。確かに動作するにはするようだが、スタンダードのレンタルサーバーでは動作が遅くてどうにもならないらしいということがわかった。
専用サーバーを借りるほど資金がないので、余っているサーバー部分で実験を繰り返すことにしてひとまず実践での運用はペンディングとすることにした。それにしても世の中は確実に進歩しているということであります。いつかは安価にWEBアプリケーションを運用できる日がくるような気がした。

2016年5月16日月曜日

なんだ?なんだ?なんだ??

なにはなくても、こうしてゆっくりと散歩できればシアワセなのだ。なんて書くといかにも人生に満足しているんだ、なんて自分自身が錯覚してしまう。
いくら歳(よわい)を重ねてきてもそんなことは決してなくて、自分に都合の良い時だけ悟ったような事を思ったり、書いたりしたりもするけれども、それは錯覚であり、大嘘を自分についているだけのことなんだということに気がついた。
そしてそんな自分がとても恥ずかしくなってしまった。

どうも調子に乗りやすい性格はなかなか治らないらしくて、先週はどんどんとエスカレートしてしまいかなりの距離を毎日のように散歩しつづけて週末は完全にダウンしてしまい、なさけない二日間を過ごしてしまいました。
今日も散歩に行こうかと思ったけれども、まだまだ疲労だか筋肉痛だかが渾然として残っていたので一日中家にこもって過ごしました。なんともなさけないとは思うのだがしょうがないですよね。

土日はほとんど寝て過ごしたのだのに、昼ご飯を食べたらまた眠気が襲ってきてウトウトしていたら遠くで家電が煩く鳴り響いている。家電なんてのはロクな内容のものではないから面倒がっていたら、私以外は誰もいないはずなのに、誰かが応対しているのであります。
なんだ?俺もとうとう来るべきところまできてしまったかなとノロノロと後ろを振り返ってみたら、そこには次男が受話器を持って応対しているのであります。
なんだ?なんだ?と怪訝な顔を向けると、彼の彼女も一緒でありました。いやはや、とんでもない耄碌姿晒してしまいました。
うーん「なんだ?」が随分と多い人生じゃな。

彼女は数ヶ月前に府中から自宅近くに引っ越してきたばかりで私の家にくるのは2回目であります。それから3人で夕方まで雑談をして、暗くなってから二人で引き上げていきました。たまには雑談も楽しいものであります。それにしてもまだまだ筋肉痛であります。

2016年5月12日木曜日

秘密の計画を実行する時がきた

久しぶりの穏やかな朝でありました。なんと昨日まで吹き荒れていた嵐と呼べるほどの激しい風もぴたりと鳴りを潜めていたのです。それどころか文字どおりに五月晴れと呼ぶにふさわしい青空が一杯に広がっていたのです。
とうとう月曜日から密かに温めていた例の計画を実行に移す決意をしたのであります。などと書くと並外れて大それたことをやりそうな雰囲気になってきますけれども、それはほとんど期待はずれに終わってしまうことでありましょう。

最近の私は自分の身の回りでできることや出来事を材料に、できるだけお金をかけずに目一杯楽しむことに生きがいを感じようとしているのであります。
だからこれまでの自分であったら見逃してしまうような、なんでもない事に無理やり価値を見つけたり、屁理屈をつけてさも意義のあることにでっちあげることに心血を注いているのでありました。
たとえば、普段は見逃している小さな昆虫などを大写しに撮影するとそこには神秘的な色の組み合わせやデザインを発見したりするものです。それと同じように毎日代わり映えなく流れている日常の一コマに焦点を合わせてみると、そこには人間共通の普遍的なテーマが潜んでいたり、腹を抱えて笑ってしまうようなユーモアやペーソスが潜んでいたりするものです。
それは以前からわかってはいたのですが、現在の私の作文力ではとても手に負えるものでもないのは確かなことであります。ただそれを理想として日々研鑽を重ねていこうと考えてはいるのであります。

さて家人がそれぞれの職場に出かけていったのを見計らって、さっそくその計画とやらを実行に移すことにした。なんのことはありません、連休中に妻と出かけた公園に行って、読書をしたり作文を書いたりすることだけの事なんですけれども。
いつの頃だったか忘れてしまいましたけれども、何年か前にも公園を移動オフイスにして仕事をしていた事があったのを思い出しました。その時にはきちんとノートパソコンを持ち歩いていたのであります。今はその時よりもずーっと年をとってしまったので、そのような元気はどこかに失せてしまっています。ですから持ち込むのはポメラとキントルとiPhoneだけであります。移動時間も含めて3時間ほどでは本格的な仕事などはできっこないのはその時の経験からわかっているのです。

公園までゆっくりと歩いて15分から20分といったところでしょうか。通勤通学時間が終わっていますので、のんびりと風景を楽しみながら歩くのも楽しいものであります。ただこれも見慣れてくるとどうなんでしょうか、いつもの光景ということで何の感慨ももたなくなるのでしょう。
公園についたら、道路よりも空いております。これまでは休みの日だけでしたので、結構家族連れなんかもいたのですけれども、それぞれが職場や学校に行ってますのでがら空き状態で願ってもない状況であります。
11時頃まで公園で過ごして、引き上げであります。途中スーパーに寄って買い物を済ませます。これまではこのスーパーに買物にくるのが散歩でありましたけれども、これまでの約2倍から3倍の距離を歩くことができるようであります。
当然素麺売り場は避けまして、ピーナッツだのミックスナッツだのを中心に買いまして帰宅したわけであります。

月曜日から密かに決意していた割にとんだ腰砕けの秘密計画でありましたが、これでいいのだ。

2016年5月11日水曜日

とうとう細くて白い柔肌の誘惑に負けてしまったと

なんか家の近くにウグイスが住み着いているらしくて、この連休中は毎日のようにウグイスの鳴き声を聞いて過ごしました。それも春先のへたくそな鳴き声ではなくて、きっちりと「ホーホケキョ」という正調ウグイス節というものでありました。
そういえば、今年はまだ寒さが厳しく残っていた梅の花の時期にはウグイスの鳴き声を聞かなかったような気がします。
ウグイスの声を聞くと夏に深い山に入り込んで野宿をしている時を思い出してしまいます。私にとっては正調ウグイス節は深い山の中で聞く「ホーホケキョ」なのであります。だから妙に旅心を誘われてしまってそれを抑えるのに四苦八苦してしまいました。
と書いてからそういえば今日は聞いていないなと思った。行き遅れたウグイスもあまり長居をしてはと思い直して山を目指したのだろうかと少し寂しい気持ちになっていたのだが、昼ご飯を食べ終えた頃に正調ウグイス節が聞こえてきて一安心であります。

仕事とはいえども一日中システム開発をやっているわけでもなく、やれと云われても最近は集注力が続かず、すぐに他の事に心が移ろってしまいます。
それならば2時間ほどは外へ出て緑の中の公園にオフイスを移動させてしまって仕事をするのも悪くないなと思いました。
今日こそは緑深い公園にでかけて仕事をやってみようと決めていたのですが、ここ数日はなんだか風の強い日が多いようで、本日も朝から空が大荒れしている音が聞こえてきます。
こうなってくるといけません、さっきまでの決意は急速に萎えてしまって、何も今日是が非でも行かなければならないというものでもないからと早々と公園移動オフイスの無期限延期を決めてしまいました。
こうなればせめて近くのスーパーに散歩をかねて買い物にでかけました。麺売り場で気がついたのですが、これまで隅っこに追いやられていた、ソーメンや冷や麦が、これからは俺たちが主役だかんねと言わんばかりにドーンとかなり広い場所を占めていました。
「うーん」私は大量のソーメンや冷や麦を前にして唸ってしまいました。糖尿病を悪化させる前は、ソーメンや冷や麦は健康食だと思っていたのです。糖質制限食を知ってからは、これらのものほど体に悪いものはないことを知ったのであります。
し、しかしだ、ソーメンは旨いんだもんね、このところはかなり頑張って炭水化物を摂ってはいないので少しぐらいは許されるだろうと・・・・・・。
少しだけだかんね。といういことで揖保乃糸一束だけ茹でて食べました。いやはや、この喉越しはたまりません。まじに涙がでてきました。
結局、もう一束ぐらいはいいだろうと・・・・・・。これはかなりヤバイ状況であります。この勢いでいったら購入してきた一袋全部を食ってしまいかねません。さすがにこれまで我慢に我慢を重ねてきた努力を無に帰すことになりかねませんから、ようやくのところで思いとどまりました。
最近は白いご飯の誘惑に負けるようなことが無くなったのですけれども、これから夏に向っては麺類からの誘惑が大敵となってくるわけであります。

2016年5月8日日曜日

私の野外生活は40年で原点に戻ったのです。

鬱蒼とした木々に囲まれた公園が歩いていける程度の近くにあるというのはシアワセだとシミジミと思う今日このごろであります。
この歳になると、公園であればなんでもいいというわけではなくて、やはりそこには木陰ができるベンチがそこそこにあるということが大事なのであります。ようやくの思いでそこにたどり着き早くどこかに座りたいと思っても、日陰になっているベンチにはすでに人影が認められるなんていうぐらいにがっかりするものはありませんからね。
「そうか、そうかそこはすでに確保されてしまったか、ゆっくりと5月の風と光を楽しんでくださいね」なんて優しい気持ちで他のベンチを探すという余裕が必要とされるのであります。

ということで昨日に引き続いて、本日も妻と二人で公園散歩であります。これでこの連休中はなんと4回目となります。この公園にはテーブル席がひとつだけありまして、大抵の場合は空いていますから、そこにどっかりと陣取り、iPhoneで音楽を小さく流し、電子ブックで読書をしたり、テキストエディタ専用のポメラで文章を書いたりとゆったりとした時間を過ごして帰宅するだけのものであります。
本日は昨夜ちいとばかし呑み過ぎてしまったものですから、ベンチにそのまま横になって昼寝であります。これがまた気持ちがいいのであります。5月の木漏れ日が結構まぶしいのだが帽子をすっかり顔に被せて、遠くから聞こえてくるブラバンの練習音などを耳にしながら夢の中でありました。
どのぐらい寝たのだろうか目を覚ましてみると、妻はなんと家計簿をつけていました。なんだかこの光景にはソグワナイような気もするが、それぞれがそれぞれの時間を過ごすのだからこれでいいのだと、用意してくれたコーヒーを一口呑んだ。

そもそも私たちのアウトドアの原点は野外でインスタントコーヒーを作って呑むことから始まったのです。これがなぜかおいしくて、次はカップラーメンを・・・・という具合にどんどんとエスカレートしていったのです。そのうちに同じような家族が集まりだして遠征するようになりました。
最初は椅子もテーブルもなくてダンボールの箱がテーブル代わりであったのですが、これでは単なる貧乏人の夜逃げみたいだと誰かが言い出して、せめて椅子とテーブルぐらいは揃えようということになりました。確かに椅子とテーブルがあるとかなり格好がつくものだと関心した覚えがあります。
最終的には張るだけでも一苦労する大テントに大型のタープに発電機まで揃えるようになりました。それから子どもたちが成長して一人抜け二人抜けするうちにテントも小型になり、最小限の道具だけになり、最後にはテントを持ち運ぶことも面倒になり、車中泊だけで済ますようになりました。

ランタンとブタンガスのコンロだけの野外生活から始まった野外生活も40年近くたち、また原点の近くの公園でのコーヒを呑むというものに戻ってきたような気がします。

2016年5月7日土曜日

緑色増す公園にて

朝から風の吹き荒れる音は聞こえていたのだけれども数日前よりはかなり弱めだと感じていました。そういえばこの連休中は結構風の強い日が多かったような気がします。
今日は妻と二人、午前中に近くの公園に出かけていって木々の緑の中で読書をしたり、音楽を聞いたりと、のんびりと過ごすことに決めていたのです。
外に出てみると思いのほか風が強く帽子が時々飛ばされるようになった。それでも目的の公園の周辺にはかなり大きな木で覆われており、相当に怒り狂った風でも防いでくれるものと信じて歩き続けました。
思ってたとおりに空のてっぺんのほうでは相変わらずひゆーひゆーとあちこちで渦巻く風の声は相変わらず聞こえてはくるものの、公園のなかでは5月のそよ風が肌を優しく撫で回しては去っていきます。

陽射しの下のベンチでは暑くて少しも我慢できそうになかったので、日陰のベンチに落ち着いてそれぞれの電子ブックKindleを開いて読書であります。
この電子ブックは最初自分専用で購入したのですが、いつの間にか妻に横領されており、仕方がなくもう一台を追加購入したものであります。妻は職場に行くときもどこかに買い物に行くときも肌身離さず持ち続けていますので2つに正解だったと思います。まさか妻がこれほどハマるとは思っても見なかったことであります。
もっとも購入した電子ブックは共有できるのでこれはこれで合理的かとも思いますが、それぞれに読む本のジャンルが違ってきますので必然的に冊数は増えていくことになります。今では200冊近くを持ち歩いていることになりました。また調べていないので持ち歩ける冊数はどのぐらいまでかはわからないのですが、小さな図書館程度は大丈夫だという話はどこかで見たような気がします。
それが一杯になればクラウド側にあるデータを引っ張ってくるようになるのでしょうけれども、これはこれで時間がかかりそうで厄介だなとは思うけれども、たかだか200冊前後ではそう心配することもないだろうとは思っていますけれども。
公園にはバラ園もありまして、一部の赤いバラは咲き始めておりました。5月のバラとはいえどもまだ5月に入ったばかりですからね。それでも少しだけ咲き始めた薔薇の近くに寄っていきますと薔薇の香りが苦しく感じられるほどであります。(ん?「薔薇の香りが苦しくて」このセンテンスを思い浮かべる人は相当に古いのだ)

帰宅してからは、パソコンに向って作りかけの営業支援システムというデータベースシステムをやり続けています。得意先の営業の方法を見ていて、これは是非とも営業支援システムを構築しないと無駄が多いし、データの収集・分析が不可能だと強く感じたので、基幹業務システムと連動させるべく始めたものであります。
世の中というものは、もうパソコンの無い家が珍しいぐらいに浸透しているのに、システム化というものがまるでわかっていない会社というものは多いものであります。
Excelが使えるといえば、それはもう上等の部類に属します。ただその実態はちょっとだけの関数を使える程度でして、関数の概念もわからず、業者に組んで貰った数年前のシステムに無理やり自社の業務をあわせているにしか過ぎず、帯に長しタスキに短しの状態であります。
もっと酷いのは、単なるワープロ清書機としてだけ存在し、請求書等をその都度ワープロで作成して送付しているという信じられないほどの無駄をやっていてなんら疑問にすら思わないところもありますね。これウソでもホラでもないんですよ。実際に見てきた現実であります。ほんとうにびっくりぽんであります。
世の中ビッグデータだのAIだのディープラーニングだのと騒がれている時代においてこれですからね。ま、そのほうが雇用を生むからいいのかも知れませんけど。

2016年5月5日木曜日

そういえば祝日に日の丸が見当たらなくなって久しいね

グワーングワーンと空が吠えていたのは、昨日と一昨日でありました。そんなこととはまったく関係なく周囲の緑は日一日と濃くなっていくような気がします。
その昔には祝日には日の丸の旗をあげるのが普通だったような気がします。幼かった頃にはどの家の軒差しにも日の丸の旗が掲げてあったような気がします。
最近はまったくそのような光景を目にすることがなくなったような気がします。この現象っていつごろから始まったのでしょうか。
もっとも自分の家にも日の丸の旗なんてまったく見当たらないのでありますが、だいたい日章旗なるものはどこで買えばいいのだろうか、昔はどこで買っていたのだろうか?いくらどの家にもあったとはいえ、消耗品ではないのだからそんなに売れるもんではないから、旗専門店なんてものはなかったんだろうなとは思いますけど。
旗だけを買ってもそれをぶら下げるというか、括りつけるというか棒のようなものもないとダメですよね。そうそう旗竿ですね。
うーんやっぱりやめておこう。私だけが祝日に日章旗を掲げたらかなりの変わり者と思われるか右翼だと思われますからね。日本ってなんだか変てこりんな国なんですよね。
そうかオリンピックの時だけは別におかしくないのか。うーんなんだかな。

2016年4月25日月曜日

水仙と藤の花

寒かった日々が遥か遠くに感じられるようになったこの頃は、けなげな梅一輪を見初めたヨロコビや、待ち焦がれた妖艶な桜の群舞する姿に打ち震えた感動も遠い昔のことであったようにも思われてきます。陽射しはますます力強くなってきました。
わがままといわれてしまいますが、寒いのも嫌ですけれども、暑いのも嫌なのです。若い時には暑いだの寒いだのはまったく気にならなかったものでありますが近年はそのどちらも苦手なのであります。何をいわれてもそうなんですから仕方がないのであります。

先日「なめことサヤインゲンの味噌汁と」というブログを書きましたが、その後に、あれ?あれはサヤインゲンではなくてサヤエンドウだったのではないかと思ったのですが、なんとなくサヤエンドウが正しいような気がしてきたのですが結局よくわからないのでありました。

昨晩妻が藤の花が咲いているといった。7、8年前に秋田県で単身百姓の真似事をしている時に、市内で買い物を終えて農園へもどるべく山道を走っている時に周囲の山々に白ぽい花のようなものを認めたのです。傍らに乗っていた地元の知人にあれはなんだと訪ねると、別に珍しくもないように藤の花だというのです。
それまで見てきた藤の花というものは、公園の藤棚の上から綺麗に紫色の花のふさが垂れ下がっているものばかりであったので驚きました。知人に聞いた話では藤の木は近くの大木に巻き付いて成長し、最後には巻き付いた木を締め殺しにしてしまうのだそうであります。野生の藤の木というのは美しい花々の陰にそら恐ろしい陰謀を秘めた植物だったのであります。それはまるであの大陸の謀略国家のようであります。
以前は物珍しさも手伝ってTwitterなんかも盛んにやっていた時代だったので、その事をつぶやきましたら、さっそく男鹿半島に住んでいるという人から、男鹿半島にもかなりたくさんの野生の藤の木がありますよとリツイートしてきたので、こちゃあのんびりと野良作業などをやっている場合ではないと、農作業を時々手伝ってくれていたやっちゃんと二人で、仕事をほっぽらかして藤の花見にでかけたのでありました。
この事からも容易に推察できるでしょうけれども、まず理想は高かったのですが、とうてい本物のお百姓さんにはとても敵わない、いい加減な農業志願者だったわけであります。
そういえば、田んぼの一角に水仙を山のように植えたらさぞ綺麗たろうなと思いなけなしの財布をはたいて球根を10個あまり購入して植えつけたのです。それを散歩にきていた近所のおじさんに見られて、「なにをしているんだ」「この田圃全部に水仙を植えれば春先はきれいだろうなと思って」「おい、今から俺んちにきてみないか」というので、またまた野良仕事をほっぽり投げてノコノコとついていったのであります。
大きな屋敷を通り抜けて裏側にまわっていったら、そこには信じられないぐらいの膨大な量の水仙の花が咲いていたのであります。「こんなもの、なんの役にもたたんのに、わざわざこの状態にするってか?」私は目を疑ったし呆けたように口をあんぐりと開けて言葉がでませんでした。
それはそのおじさんが物心ついた時からあったそうです。あっても邪魔になるだけのものですから、一切手をかけたことがないそうであります。ほとんど野生化した水仙畑でありました。
この時期になりますと、秋田での百姓の真似事をしつつ放浪していた時期を懐かしく思い出してしまいます。それは初夏のまぶしい陽射しの下の風景画のようであります。

2016年4月24日日曜日

なめことサヤインゲンの味噌汁と

にわかに強い風が雨をともなって吹き付けてきました。そういえばここのところ天気予報をまったく気にしていなかったので今日は一日雨降りなのかと思ったが予想は見事にはずれたようであります。
今朝のにわか雨ではないのだが、唐突になめこの味噌汁と食べたくなった。ここ数ヶ月はかかりつけの医者に塩分を摂り過ぎるきらいがあるので、いっそ味噌汁はやめてしまったらと云われたのでほとんど食べていなかったのであります。
ご飯と味噌汁は対をなすものであるし、現在炭水化物を出来る限り摂取しない糖質制限食を実行している真っ最中なのだから迷わずやめることができたのであります。
それがどうしてもなめこの味噌汁が食べたい、それにサヤインゲンも入っていれば最強だなと思って、晴れ上がった空の下をトボトボとなめことサヤインゲンを求めてスーパーに向ったのでありました。
頭のなかがなめことサヤインゲンの味噌汁で満たされてしまうと、それはあたかも連想ゲームのように白い温かいご飯も突如浮上してきてしまって、かなりやばい状態となったのであります。
スーパーでサヤインゲンを物色していたら、長芋が目に飛び込んできました。温かいご飯に長芋を大量に流し込んでそのままガッシガッシとかき込む己の浅ましい姿が見えてきまして、三度までは打ち消しましたが、味噌汁と温かく白いご飯の誘惑にはどうしても勝てずに・・・・・。
それでもとこかに、いとも簡単に誘惑に打ち負かされた罪悪感というものがありまして、白いご飯は申し訳程度にして大量のヤマイモに生卵をかき混ぜて他のおかずには目もくれずに、サヤインゲンとなめこの味噌汁とともにガッシガッシと力強くかき込んで至極の幸福を味わったのでありました。

たまにはいいのです。あまりに抑制してしまえば精神にも異常をきたすのだからと盛んに自分にいいわけをしたのですが、このままズルズルと糖質制限療法が崩れてしまうのではないかという恐れもちょっとだけ頭を持ち上げてきました。
考えてみるとすでに異常者なのだから、それが異常をきたすということはいくらかはまともな人間になることではないかなどと愚にもつかない考えが浮かんできたことも確かなことでありました。

2016年4月23日土曜日

漂う風に五月の香りを感じてしまったのだけれど

ほんのちょっとだけ漂う風に五月の香りを感じてしまった今朝の心模様でありました。毎日作文だけは書かなくてはいけないなと決めてはいるのですが、どうしても気持ちがついていけなくて、ここのところはちいーとばっかしサボりがちであります。
作文が書けないのなら、読書の時間にシフトすればいいではないかという思いがよぎるのですが、心とか気持ちというのは、そうそう都合の良いようにできていなくて、なんとなく仕事にも身が入らないし、散歩にでる気にもならないのであります。
漠然となんの役にもたたないテレビで地震関係の番組を眺めていたが、どのチャンネルに移動しても間の抜けた内容になってしまっていました。もっとも何の役にもたたない私ごときがリアルに詳細な情報を得てもしょうがないことなのですが。
ま、そんな状態でなんとか気分転換をはかろうともがけばもがくほど、ずるずると蟻地獄に引きこまれていくような感覚を覚えてしまいます。しょうがないですよね。こういう時は、なすすべもなくてただ首をすくねて自分の内から強力怠惰菌が消え去ってしまうのをじっと待つだけのことであります。

震災発生時のブログでオスプレーを投入するべきだと書いたら、すぐさまに米軍から協力の申し出を受けて政府もただちに快諾しましたね。
自衛隊はすでにオスプレーを何機か持っているもんだと勘違いしておりました。バカですね。それにヘリコプター空母を横付けにして物資と医療施設に利用すべきだとも書いたのですが、日本にはヘリ空母なんて存在してないんですね。
でも何かで、ヘリ空母のようなものをみた記憶があったものですから「???」と思っていたのですが、なんとそれを「護衛艦」っていうんですね。だいたい私には「護衛艦」っていうものが何をするものかもわかっていないのですが、あれはどうみてもヘリ空母ではないですか。
「ひゅうが」っていったっけ、艦名は間違っているかも知れない。そのヘリ空母とオスプレーが連携して救援任務にあたっているではないですか、素晴らしいことだと思いましたね。もう少しこのあたりの事を勉強しなければいけないなと痛感しました。

大きな災害になりますと、全国から警察・消防・自衛隊が動員されますが、この組織の動員の仕方に興味があります。普段からそれほど余分な人員を抱えているわけでないのですから、通常業務もこなしながら、緊急時には全国から大量の人員を集めて投入しなければならないわけでありますから、かなり大変な事だと思います。
こういう事ってたぶん法律で決められているのでしょうけれどもそのあたりもまったくわかっていません。消防なんていうのは各自治体単位で組織されているわけでありますし、警察は都道府県単位ですよね。自衛隊は全国組織だとは思うのですが実際のことはまったくわからずであります。だいたいこれまでこんなことを考えてみたこともありませんでしたけど。

また、まったく性格の違う組織が被災地に集まってきての指揮命令系統ってのにも興味のあるところであります。もちろんこの緊急時に縄張り争いなんてことはやっていないことでしょうけども。
情報の収集・分析・計画・実行ってどうなっているのか、マスコミの情報からではさっぱり理解できません。地震学者を集めて役にもたたないデタラメ地震予測談義を延々とやっているだけであります。
警察・消防・自衛隊に加えて該当する自治体や医療関係・ボランティア等々も加わってくるわけであります。
できるだけ力の分散・重複を避けて、今一番やらなければならないこと、次にやらなければいけないこと等々と時間の経過とともに仕事も増えていくし、問題もより複雑細分化していくわけでありますから、現場での司令塔がより重要になっていくものだと思うのですが。

それから、支援部隊の食事はどうなっているの、寝る場所はどう確保しているのトイレは・・・・。救援に入っている人びとも公務員とはいいながらも、同じ人間だと思うのです。それを根性だとか愛国心だとかという言葉で片付けては決していけないことだと思います。

現地では信じられないことですけれども空き巣や強盗が発生しているということです。警察でいうと何課の担当になるのかわかりませんが、かなり早い段階で空き巣強盗対策担当刑事を密かに私服で配置しておく必要なのではないかとも思います。
この空き巣強盗集団は自衛隊の災害派遣よりも早く現地に潜入するという話を耳にしました。オレオレ詐欺なんかも私には信じられない話なのですから、そんなこともあるだろうなと思えてきます。

また多分これは機密事項だから決して表には出てこないだろうけれども公安の人員も配備されていますよね。これ以上書くとヘイトスピーチと云われそうですけど本当に油断がならない世の中ですからね。

2016年4月18日月曜日

八重桜と夏みかん

ここのところ、ぐうーんと気温があがってきました。特に今朝は室温が23℃もあり自分でも驚いてしまっています。昨日も一日中熊本の地震の様子をテレビでみていた。まだ避難所に入れない人もいるとか、食べ物や飲水が極端に不足しているという。気象庁は「今後の地震活動の展開は予測できない」というではないですか。心が痛い。

昨日の夕方、テーブルの上に見慣れない花が飾ってあった。「なにこれ?どうしたの?」と聞いたら八重桜の花がたくさん落ちていたの拾ってきたとのこと。「え?八重桜なんてどこにあった」「ほら、国分寺の隣のお寺さんの境内」ああ、そういえばあのお寺には数本の八重桜の古木があったのを思い出した。昨日今日と結構強い風が吹きまくっていたので、花本人はまだその木で咲いていたかったのだろうけれども、強制的に振り落とされてしまったのでしょう。
八重桜の花は大きな塊でボトンボトンと落ちてくることを知らされた。それを10個ほど集めて透明な硝子の器で飾れば、なんだか新種の花のように見えてしまう。
「それから、普通の桜の枝も落ちていたので拾ってきた、花はすぐに散ってしまうだろうけど」
で、最後の決めゼリフは
「夏みかんも落ちていたので、ついでに・・・・・・」「ひえーーー・・・・・」

夜が明けても、気温は上がり続けている。息子は本日より2泊3日のキャンプ旅行にでかけると云ってバイクに荷物を積み始めている。そうか、もうそんな季節になっているのかとあらためて季節の変わりの速さを実感する。彼のキャンプは本格的にテントを貼って野宿するやつである。私の場合は超軟弱でここ十年ほどはテントなど貼ったことがないので少々怖気づく。
若い時のキャンプは雨に祟られても、それはそれなりに楽しい思い出となるから不思議なものである。
こんな事を書いていたら、若い時に土砂降りの雨に降られてしまって廃屋の中にテントを貼って一晩過ごした時のことを思い出した。ここでは詳しく書かないけれども、それはそれはとても怖い思いをしたことを思い出す。あれ以来決して廃屋には近寄らなくなったのだ。別に幽霊をみたとかという話ではないのだが、後にも先にもあれほどの恐怖を味わったことはない。


2016年4月17日日曜日

日本を守ってくれている人びとに感謝です。

1時半ごろに目覚めたので、皆さんと同じく気になっていた熊本の雨の状況はどうなのだろうかと、寝ぼけながらもリモコンを探してテレビのスイッチをいれたが、どこの放送局でもテロップは流れていたが、さすがにLIVE番組はやっていなかった。
2時なるとNHKが地震情報を流すというテロップを発見してそのまま、「項羽と劉邦」の短編映画を見続けた。この状況での降雨はかなりきついと思うけど、天気予報では9時頃にはあがって、その後は晴れるらしいので、なんとかそれまで凌いで欲しいと願うばかりであります。
今日から自衛隊が2万人体制で支援に向かうらしいので、ほんの少しだけ安堵している。こういう時に頼りになるのは自衛隊・警察・消防・医療関係者の方々ですからね。国県市町村の行政に携わる方々の尽力も大変なものであることを付け加えておかないと片手落ちですね。ゴメンコメン頼りにしています。

これまでずーっと自衛隊は鬼っ子扱いされてきたけど、最近ほんの少しだけスポットを当てられるようになって嬉しく思っているのは私だけではないはずだと思う。
それでも素人考えからすると後方支援も含めて自衛隊5万人体制ぐらいで徹底的な支援をやって欲しいと願っているのであります。
海には名前は忘れてしまったけど、ヘリコプター空母2隻も動員して、避難所兼病院船と活用すべきだと思うし、大型の上陸用のホバークラフトに重機を大量に積んで動員すればとも思うのだが・・・・。それから、それからいろいろといちゃもんを付けられていたオスプレーだって使ったらいいと思う。オスプレーも確か近くに配備されていたと思うのだけれども。
あくまでも素人考えだから、それぞれの諸事情というものがあるのも理解できるので、ここは専門家に任せるしかないのですが、結構歯がゆく感じてしまいます。自分では何もできないから、かえって強く思ってしまうのですけれども。


2016年4月16日土曜日

コンスタントに絵日記がかけたならと・・・・

昨日のブログに最近の晩酌は5日に1回ぐらいだなんて書いた。だいたい酒の事をわざわざ書くなんてことは呑みたい証拠でもあるとも書いた。それは当たっていたというか、その自分の言葉に誘発されたというか、ブログをアップしてすぐに何も考えずに焼酎のパックを手にしていた。なんとも呆れ果てた酒呑みでしょうか。
5日ぶりのお酒は格別においしくて、ついつい呑み過ぎてしまって、本日は二日酔い気味でありました。
テレビでは熊本地震をやっていた。なんと驚いたことに最初の地震よりも強い地震があって被害も格段に大きくなっているではないですか。こんなこともあるんですね。まったく油断がならないものであります。

終日重い頭を抱えて、地震の報道を見続けました。息子の知り合いのお父さんは広島から東京までオバマ来日のための会議に出席しており、広島に戻った途端に熊本の地震の現場にそのまま派遣されてしまい、自宅に一度も戻らずだったそうであります。頭が下がります。
そのお父さんのおみやげのおすそ分けに「生もみじ饅頭」なるものをいただきました。私は厳密な糖分制限でありますから、口にすることはできませんでしたが、実に美味そうでありました。
なんだか京都の八つ橋みたいですね。そのようなものがあることすら知りませんでした。

最近はまた下手な絵を描き始めました。糖尿病の合併症で目を悪くしてからは長時間ディスプレーの小さな文字を見続けるのがつらくて絵を描くことはやめていたのですが、大型のディスプレーを購入してからはそれほど苦にもならなくなったので、下手な横好きを懲りずに再開したわけであります。
以前にようやくのことで覚えたIllustratorの使い方をすっかりと忘れてしまっていて何も思い出せないことに愕然としましたが、簡単な鉛筆・筆ツールだけを使って描くことにしました。
必要とあれば、その都度検索してその方法を覚えればいいやという開き直りであります。
本当は数日前のブログにハナミズキがでてきましたので、ハナミズキを描きたかったのですが、どうもその白い花を旨く描くことができませんでしたので、花をはしょったわけであります。
そんな事を云わなければ誰もわからなことでしょうけれども、本当は絵日記を書きたいと思っているのです。今のところ自分の技量からして絶対無理ですから、とにかく自分で描いたものを稚拙であっても掲載するようにしたいと思っているのです。

2016年4月15日金曜日

ある日の糖尿病外来

誰かに背中をせっつかされるような生き方を放棄してから久しいような気がする。だからせっつかされるような人や組織からはできるだけ離れて暮らすようにしてきたと思う。
それでも時々は背中をせっつかされていると感じることがある。それは紛れもなく自分自身がせっついていることに気がつく。なんだかなぁ、どんなことでも結局自分自身に帰結してしまうというのが現実のようであります。

昨日の夕方にちょっとした疲労を覚えてうとうとしたと思ったら、どうもそのままぐっすりと寝込んでしまって目が覚めたのは日付が変わってからであった。
時々このようなことはあるのだけれども、目覚めた時は、まだ夕ごはん前のような気がしていたのだが、周囲の様子が違うので昨日から妙にいうことを聞くリモコンに手を伸ばしてテレビのスイッチをいれたら1時を少しまわっていることを認識したのでありました。
早い話がネボケていたのだが、時間の経過とともにネボケがたんなるボケに変化していったのでありました。
熊本では結構大きな地震があったらしいことを始めて知ったのだが、なにせまだ夜中と呼ぶにふさわしい時間なので、詳しい情報はそれほど流れてこない。あと数時間すれば夜も明けるだろうから、そのままテレビを消して仕事(らしきもの)に突入することにした。最近はどうもこれが仕事なんだか遊びなんだか明確な線引ができなくなってきて困るのだが、なんでも仕事としておいたほうが世間体が良いように思うのでそうしておくことにする。

最近は結構頻繁にブログを更新してきているのだが、なにせ人間的な中味が薄いので何を書いていいものかネタがまったく見当たらなくなってしまって困ってしまう。そういう余計な思いがちょっとでも頭をかすめてしまうとまったく書けなくなってしまうので、あえて無視することにする。

そういえば、以前は毎日晩酌をしなければ気がすまなかったのだが、最近は3日から4日は空けるようになってきているし、長い時は1週間ほどまったくアルコール抜きなんてことも珍しくもなくなってきている。だからエライとか健康的だなんていうつもりはまったくないのであります。だいたいここでアルコールの事を書くのはたぶん呑みたくなった証拠なのだと思う。普段はアルコール摂取のことをすっかり忘れさっているわけでありますから。

「アルコール消毒をしても大丈夫ですか?」
「はい、夕べ体内に大量のアルコールを注入して試しましたから、大丈夫です。」
「・・・・・」
月曜日に3ヶ月ぶりの糖尿病外来に行きました。端末に診察券を入れて外来受付を済ますと、そのまま採血室に向かいます。ここで採血と採尿を済ませないと基本的に診察はできないわけであります。
どうせ明日は病院で一日潰れてしまうのだから、呑んじまおうと思ったかどうかは忘れてしまっていますが、日曜日の夜に5日ぶりぐらいに呑んだのがいけなかった。調子にのってついつい呑み過ぎてしまって、一夜明けてもまだ完全に酔っ払った状態であります。気持ちが悪くて朝ごはんも食べずに次男の運転する車で病院に直行であります。
こんな状態で病院に行くのは始めてのことでありますので、今回の検査結果は最悪だろうなと覚悟を決めていました。覚悟を決めるのもなにも、他になすすべがないのですから成り行きに任せる他はないではないですか。文字通りにまな板の上の鯉ですね。
採血が終わると、紙コップを持って採尿であります。たぶん相当にアルコール臭が強いと思いほんの少しだけにしておきました。
以前に検査の人に血液と尿の分析が終わる時間を聞きましたら、最低でも1時間ということであります。このまま超混雑する外来の待合室に行くなんていう愚は避けて、駐車場の車に戻って待つことにする。
9時ちょっと過ぎに採血を済ませてから診察に入ったのが、なんと1時近くでありました。いつものことながら、この待ち時間の多さには辟易してしまう。私の場合は3ヶ月に一度の程度だし、定期的な健康診断のようなものであるからまだマシな方だとは思うけども。
「今朝は朝ごはんを食べてきましたか?」
「いえ、忙しくて食べてきませんでした」
「空腹時での血糖値がこの値であれば、良好ですね」
「ヘモグロビンエーワンシーの値も前回よりも0.1ポイント下がっています、他の値も概ね正常といってもいいです。」
これまで散々待たされたこともすっかり忘れてしまって、この3ヶ月間の人知れぬ努力が報われたようでほっと胸をなでおろしました。
最後に3ヶ月後の予約をとって検査結果が印刷された紙を渡されて終了であります。もうここまで回復したのだから、まる一日を潰しての通院はやめても良さそうな気もするのだが、この3ヶ月に一度の検査を目標にして糖質制限を実施しているのであります。そこに確かな数字の裏付けがないと、何もかもが自己流のズブズブの状態になってしまいそうで怖いのであります。
それに検査結果を元にして肝臓とか腎臓ほかの事も解説してくれますので、それも結構参考にして暮らすことになります。あんまり口にだしたくないのですが。これが一病息災というのではないかということであります。
なんで口に出したくないのかといいますと、もっと前にほんの少しの知識があれば糖尿病をこれほど悪化させることは無かったのです。それを怠っていたのですから返すがえすも悔しい思いになります。一病なんて、病に罹っていいことなんかひとつだってないのですから。

2016年4月14日木曜日

私の糖質制限食事は鶏のエサもどきなのだ

画像と本文は関係ありません
白いハナミズキの花が咲き始めていますし、たんぽぽも咲いているのをみました。新しい黄色がかった緑葉っぱが勢いよく樹木を覆い始めてもいます。まだ時々肌寒さを覚えることもありますが、関東はほぼ春の様相です。

いつもの平均的な起床時間2時半に目を覚ます。いつもだったらテレビのスイッチを入れて昨夜のテレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」の録画を視るともなく流すのであるが、リモコンが二つもあるにもかかわらず、いくら電源のボタンを押してもまったく反応しない。ふたつのリモコンを両手に持って同時に押してみたり、交互に連続打ちしてみたり、斜めから46度方向から押してみたけれども、依然としてだんまりを決め込んでしまっている。
テレビ側のボタンを押してスイッチを入れてもいいのだが、リモコンに配置してある操作ボタンの機能すべてが兼ね備えているわけではなく、特にハードディスクの録画内容をみる操作はどこにもないのであります。テレビの操作はリモコンをとおしてやるのが前提になっているようであります。この合理化にたいして別に不満があるわけではないのだが、それならば是非ともテレビ側が壊れないことを前提にして欲しいものであります。
毎朝の習慣だからWBSをみようとしただけで、是非とも視たいとか、絶対に視なければいけないというわけのものでもないから、テレビが私を無視するのならば、この際私もテレビを無視することにした。
私が小さかった頃に比較すると地上波の番組を視る割合は極端に少なくなってきたし、日によってはまったく視ないなんてこともあるのだけれども、ネットをみたり、DVDをみたり、VTRをみたりとTV本来の役割から大きく離れてきてはいるのだけれども、そのディスプレーの役割は逆に大きくなってきているような気がします。いつまで、この不便さに耐えられるかですね。リモコンが効かなくなったからといってテレビそのものを買い換えるなんて・・・・・・。どう考えたってバカな話ですよね。

どうも長時間無音でいるのに慣れていないので、いつもは明け方近くにメインのパソコンのスイッチを入れるのだが、音楽を流すために早めに立ち上げて、プレイリストの「朝に聴く奴」なんてものを久しぶりに選んで流しておいた。
いつもどおりにポメラを立ち上げてテキストで日記を書いたり、作文を書いたりをする。どうせテキストファイルなんだからパソコンで書けばいいではないかと思うかも知れないが、ここはあえてキングジム デジタルメモ ポメラを絶対的に使用しているのであります。確かにパソコンの大画面で作文したほうが快適なのだが、旅にでたり外へ出た時に手軽に利用できるのはポメラなのです。フタを開ければ1秒もかからずにすぐに入力できる状態になる便利さは他に代えがたいものがあります。だから普段からポメラでの打鍵入力に慣れておかなければならないのであります。
私はこのようにして常にアウトドア生活に備えて訓練を重ねているわけであります。(それほど大げさなものか?)
テキスト文字しか入力・編集できないし、ネットに繋がっているわけでもないジツに原始的な道具なのですが、もうしばらくバージョンアップもやってないし、おそらく私が持っているポメラが最後の製品になるだろうなとは思っています。スマホやタブレットで代替になるような気もするのですが、なにせキーボードがないと作文ができないようなバカ頭になっているものですから、もう新しい事に挑戦する気も失せてしまっています。まだ新品も売っているようなので今のうちに購入しておこうかなと考えないでもないのですが・・・・・・。

晩ごはんはほとんど食べる事がないので、別に意識していたわけではないのですが、いつしか一日二食になってしまっているようであります。ですから、早朝の2時、3時に起き出しますと朝ごはんまでの時間がかなり長く時には腹が減ってしまって仕事にならない時もあります。最近は柿の種から始まった豆類を間食に食べるという新技を覚えました。
そこで後1時間もすれば朝食ということだったのですが、ここで苛々するよりも間食しようと思い、小皿を出してきて、ピーナッツ・カシューナッツ・クルミ・ジャイアントコーン等々を調合しました。調合というよりも袋に多く残っているものを中心に小皿に入れてかき混ぜただけの話でありますが、それをやっている途中で、「あれ、これって鳥の餌を作っている時に似ているな」と急速に幼いころに鶏の餌を配合してやっていた時を思いだしてしまいました。
「俺っていつの間にか鳥の餌を食うようになってしまったのだ」と急に悲しくなってしまいました。実際この鶏のエサもどきを食していると、本格的な朝ごはんとか昼ごはんが、かなり少なくなってしまって糖質制限するにはかなり効果的なのは確かなのでありますが、なんだかやるせない気持ちになってしまいます。

2016年4月12日火曜日

あなたの主食を角砂糖に換算すると何個分?

糖質制限療法の辛いところは、つまるとこ主食を持たない持てないところにあるのです。糖質制限療法の本質は基本的に穀物(炭水化物)の摂取を抑えるところにあります。もちろん直接砂糖を始めとする糖類は決して口にしてはいけないのはわかりますよね。デザートは別腹なんてのはとんでもないことであります。

出典は失念してしまいましたが、あるサイトには以下のような換算が掲載されていました。

角砂糖(1個4グラム)

  • 6枚切りの食パン1枚=角砂糖 約8個
  • 白米飯1膳・素うどん1玉=角砂糖 約14個

上記の数字はどこまで正確なのかはわかりませんが、おおよそそんなものでしょう。私も糖尿病で入院してから、その数字を知って驚いたのであります。

炭水化物は消化されると即座にブドウ糖に変換されてしまいます。そして直接エネルギーとして使われるわけであります。余った分を膵臓から分泌されるインスリンが脂肪に変換して体内に蓄積するわけであります。
ところが血糖値が高いというのは、インスリンの分泌量が少なくて血液中のブドウ糖の処理が間に合わなくなるわけであります。それら処理されない糖分が体内のあらゆる血管にべたべたと漂うわけであります。それらのジャブジャブベタベタの糖まみれの血液が血管を傷つけ神経を傷つけまくるわけであります。最後に尿にまじって出されるわけです。だから糖尿病といわれる所以であります。
インスリンの分泌量が極端に少なくなっているか、もしくはまったく出てない状態なわけですから、基本的に糖分を摂取しなければいいわけであります。
私はこの1年半あまりの間に試行錯誤の七転八倒を繰り返しながら糖質制限療法を続けてきたわけでありますが、それは原始人に戻るということなんんだなということに気がついたのであります。
縄文時代にはすでに稲作がなされていた説もありますが、ここでは弥生時代から稲作が始まったことにしまして、縄文時代の狩猟採取生活に逆戻りすることなのだと気がついたのありました。
実際にピーナッツだくるみだカシューナッツだ柿の種だ、ん!?柿の種は炭水化物だった。肉だ魚だと
探しまわって食べているわけであります。

そう考えますと農耕文明というのは人類にとっては素晴らしい大発明だったということがわかります。安価で大量の穀物を生産できるようになったので人口は爆発的に増えてきたという事であります。安価で安定して量の穀物を手に入れられるようになってから戦争も大掛かりになっていったわけであります。兵農分離などと普段はたんなる穀潰しの兵隊を養えるようになっていったわけであります。
では米食中心であった江戸時代から明治・昭和にかけて糖尿病が少なかったのはなぜだろうという疑問にぶつかるわけでありますが、それは現代よりははるかに運動量が多かったのです。それに食生活も現在よりははるかに貧しかったからなのだと推察するのであります。このあたりはどうでもいいことでありますけれど。

毎日毎日、たいして体も動かさずディスプレーの前にへばりつき大量のメシを喰らい、毎夜、ビールだ日本酒だ仕上げにウィスキーだと散々飲み食いしたあげくに、仕上げにラーメンだなんてことを続けていたら意図的に自分の体を壊しているようなものであります。趣味はなんですかと問われると「大量のアルコール飲酒」とこたえるようではね。どうにかしていましたね。

さて、ここで冒頭の主食を持たない持てない苦しさの話に戻ります。糖質制限療法を始めるまでの私の主食は、主にご飯でありました。昼はほとんど麺類でありますから、米と麦であったのです。
現在極力米と麦類を食べないようにしていますので、毎日食べるものには本当に苦労してしまいます。

逆に考えますと、いかに米と麦というものは主食として優れものであるのかということがわかります。その優れた特質のひとつにいくら食べても飽きないというところがあります。
本気で糖質制限療法を始めた時は、「肉だ!肉だ!とにかく肉だ!!」とにわかに肉食男子に豹変して食べ続けたのです。その結果、もう肉は食いたくないし、見たくもないとなったのです。そうした食べ物は数えきれないほどあります。卵に豆腐にチーズにとひとつもしくはふたつかみっつの種類のものを食べ続けると飽きてきてしまって、もう見たくもない状態になってしまいます。その点ご飯は優秀であります。毎食、毎日、食べても飽きるということがありません。それに味噌汁と漬物があれば実に簡単に安価に済ませてしまうことができます。これからの一生あのご飯と素麺・ラーメンの主食には戻れないというとかなり寂しいものがあります。

そうそう、これもぜひ書いておかなければと思いますが、ごはんとか麺類を食べないと、どうも腹が落ち着かないというか、満腹感がないというか、ドッシリ感がないというか、体に力が湧いてこないというか・・・・。ま、だいぶ慣れてはきましたけれどもね。

2016年4月10日日曜日

テレビ(REGZA)のリモコンが二つも

以前にも時々書いていたのですが、どうもテレビのリモコンがだんまりを決め込んでしまって、不自由を極めていることであります。その原因がテレビ側にあるのかリモコン側にあるのかの見極めがつかないのであります。
同じ場所でボタンを押しても、まったく反応しない場合とそれまでのだんまりがなんであったのかと思うほど快適にこちらの意志を反映してくれたりする。リアルでテレビ番組をみる機会はほとんどなくなってしまってはいるのですが、ネット動画とかDVDとかVTRを録りためてあるHDDとかをひとつのリモコンで操作しているものだから、結構困ってしまうのであります。

そんな時に息子が断言するのだった「そんなもん悩んでいるより、リモコンの製品番号をAmazonで検索をかければいいではないか」と。

なるほどな、新品のリモコンでやってもだんまりを決め込むようだったら、これは明らかにテレビの受信側に問題があると判明するではないかと思い、さっそく「CT-90376」と入力しましたら、一発
で出てきました。どうでもいいことなのですが、この商売の旨さに、買物ページの作りの見事さに関心してしまいました。この場合そんなところに関心している場合ではないのですが。
翌日の朝にヤマト便でくだんのリモコンが届けられました。さっそく単4のエネループを2本入れて試してみました。
なあんだ結局リモコンが悪かったのかと思うほど素直に忠実に私の思うがままに動作してくれるではないですか、これにてリモコンの問題は一挙に解決となりました。

と、書ければこのブログも成立しなかったのですが、新しいリモコンを始めて使用した時にはたまたまテレビ側の受診部分の機嫌が良かったに過ぎなかったのであります。「なぁんだこんなことなら、もっと早く購入するんだったな」なんて思ったのもつかの間、音声を少し下げようと思って新リモコンを押したのですが、うんともすんともいわないではないですか、「あれ???」カーっと頭に血が登ってしまい、たちまちコノヤロー状態であります。古いリモコンと新しいリモコンふたつを持ってダブル攻撃であります。
いやー、参りましたね。結局テレビ側の不具合である事が判明しました。判明したからといってどうってことないのですが、これからメーカーのサポセンを探して電話をして尋ねなければいけないようでありますが、これも面倒な話で、いつになったらまともなテレビになるのかはわからない状態であります。
テーブルの上には役に経たない同じようなリモコン2個が並んでいます。これって結構悔しいですね。

2016年4月8日金曜日

糖尿病およびその予備軍と呼ばれている方のために

買い物に行きたいのだけれども雨が結構激しく降っているみたいです。「うーん」いくらでもない買い物をするために、わざわざ車を使うなんて馬鹿らしく思えて、そのうちに上がることを期待してしばしの間待つことにした。
その雨はお昼過ぎても一向に止む気配はなくて、夕方になれば風も強くなってくるとのことであります。とうとうしびれを切らして車ででかけることにしました。

以前に「朝から鍋」なんてことを書いたのですが、他にも「朝から餃子」とか「朝からシュウマイ」なんてことをやっています。餃子とかシュウマイというのは皮に小麦という炭水化物が使用されているから、あまり好ましい食べ物ではないのですが、それを厳密にやりますと本当に食べるものが限られてしまい、食べたくもなくなります。ヘモグロビンエーワンシーが正常値を示すようになってから、すてに1年以上経過していますから、最近は少しだけ緩めるようにしています。

糖質制限療法を始めた当時はかなり厳密に実行しており、「朝から焼き肉」とかたまご・チーズ・豆腐・納豆等々以外は口にしないなんてことをやっておりました。
それらを厳密に実行したお陰で3ヶ月ほどで、大量のインスリン投与地獄から逃れることもできましたし、主治医からは、通院すらすることがないほど改善していますという言質を得るまでになったのであります。
それでも、同じようなものばかり食していると精神的にもへたってきますから、何か他にないものかといつも探し続けています。

最近試しているのは、間食にナッツ類を食べるということであります。これまで間食というものはほとんどやった事がなかったのですが、最近はなんだか知らないけれども1回の食事の量が少なくなってきて、しばらくするとちょっとだけ小腹が空くという状態が頻発するようになりました。そんな時に、ピーナッツとかカシューナッツを食べると空腹感がなくなるので、余計なストレスを与えるより、時間外に腹が減ったら、ボリボリと食べるようにしています。
間食にナッツ類をボリボリ食らうに至るにはそれなりのきっかけがあったのであります。最初は「柿の種」であったのです。
ある時仕事に夢中になっており、昼ごはんを逃してしまったのであります。


糖尿病の場合は高血糖に気をつけますが、本当に怖いのは低血糖であります。低血糖になりますと意識を失って倒れてしまう危険性がありますから注意しなければいけません。私も退院した当時の処方箋にはブドウ糖が入っていました。低血糖になった場合はそれを舐めて血糖値を上げなくてはならないわけであります。私の場合は一度も低血糖の経験をしたことがありませんので、いつしか処方箋からブドウ糖が消えてしまっていました。一番効果的なのは炭酸入りのシュースやコーラだそうです。それらがない場合に備えて飴玉とかブドウ糖を持ち歩くわけであります。



ご飯はダメ・麺類ダメ・パンダメ・なんでもダメダメダメでは腹がへって死にそうだといってもすぐに食べられるものなんてありません。そんな時に目に入ったのが誰のものかわからない「柿の種」の小さな袋だったのあります。
本当は良くないんですよ。柿の種ってあられ(炭水化物)ではありませんか、ピーナッツはいいんですけれどね。
ただ腹がへっているから、そんなことも云ってられないし、面倒だったので食べたら結構うまいではないですか、その時は小袋ひとつしかなかったのですがそれで夕食まで持ったので、それに味をしめて時々買ってくるようになりました。

時々「柿の種」を空腹を覚えた時に食べるようになったのですが、どうもピーナッツの量が少ないような気がしてしょうがないのであります。
ここで亀田製菓を始めとする製造メーカーに「ピーナッツの量があまりにも少ないんじゃないか」なんて文句をつけるわけではありませんよ。だって商品名が「ピーナッツ」となってないわけですから、あくまでも「柿の種」なわけでありますから。

その昔ラジオから良く流れていたのが「暗いと不平を言うよりも、自ら灯りをつけましょう・・・」などという、どこかの宗教団体のフレーズをにわかに思い出したのであります。
そうだよ、ピーナッツが少ないと不平をいうよりも、これにピーナッツを足せばいいじゃないかと思いたったのでありました。ここに「柿の種大幅ピーナッツ増量」なるブランドを確立したのでありました。

「うーん、我ながら天才的な発想だな」なんてしばらくの間だけど満足していたのですが、どうせならこれにカシューナッツなんていうシャレた名前のものも入れてみたらどうだろうということになって、さっそく実行に移しました。かくして「柿の種大幅ピーナッツ増量+カシューナッツ」などという新ブランドが誕生したわけであります。
ししてしばらくしたら「業務スーパー」でミックスナッツなんてものを見つけましたので、それも増量しました。こうなってくるとなんでもあり攻撃であります。
かくして「柿の種大幅ピーナッツ増量+カシューナッツ+ミックスナッツ」なる新新新ブランドが誕生したわけであります。

それにアーモンドも加えました。うーん、これをやっているときりがないな。
そして昨日見つけたのが「無添加たべいりこ」という小魚を干してあるやつでありました。これはしかし、いりこの割合があまり多いとあまりおいしくないのでおまけ程度が適当だということも発見したのでありました。

これらを皿に混ぜあわせて入れて仕事の合間にポリポリ、ぼりぼりやっていますけれども、これが実に具合がいいのです。通常は朝と昼にしか食事を摂りませんが空腹で気が狂いそうだなんてことはほとんどありませんし、中間にちょっとつまんでいるわけですから、食事の量も極端に少なくなってきています。
これをやる前は、こんな少ない食事で大丈夫かなという不安が先にたってしまい、余計な分まで食べたりしていましたが、腹が減ったら「あれ」を食べればいいのだからと、余分な量は食べなくなってしまったのであります。

糖尿病の食事療法で敗退するのは制限があまりに多いからです。カローリーを抑えろだの、アルコールを控えろだの、何するな、かにするなと、そんな事できるわけがありません。できなかったから生活習慣病なるものになっているわけであります。
今でこそ、結構旨く食事をコントロールができるようになってきていますが、最初は絶対に無理だと思いました。私が入院した病院は食事制限はほとんどありませんでした。むしろそれまで自宅で食べていた量よりも多いぐらいのものでありました。
最初はスマホで食事を撮影していたのです。それは退院してからの食生活に役立てようと考えたのであります。しかし、それは3日と経たないうちにやめてしまいました。だってそれは普通食だったのであります。
これはあくまでも私の推測にしか過ぎませんが、この病院では食事制限なしの普通食を与えて、その分をインスリン注射で補うという、実に荒っぽい一生インスリン地獄から抜け出せないようにするというものだと感じました。
そこで独自の治療法を考えだすことにしました。糖尿病という病名なのだからまずは糖分を極力摂取しない、そのために炭水化物も極力摂らない、蒸留酒であったら呑みたいだけ呑む、カロリーなどは一切気にしない。かなり大雑把な方針でありましたが、これが正解だったと思っています。
これまで長く続けて習慣を変更するなんてのは、かなりの苦しみを伴うものであります。無理して一時期やれたとしても続くものでありません。できる範囲で少しずつコツコツが正しいと思います。

それから精神的に追い込む事も重要です。
糖尿病の合併症関連の話を聴いたり、書籍を読み漁るのです。そこには視力を完全に失った話や手足が腐っていく話、両足切断した話、腎臓透析をやらなければいけなくなった話等々を読みまくり自分に恐怖感を与えるのです。
糖尿病の症状って重症化しないと目にもつかないし、自覚症状だってまったくないゆでがえる症状なのであります。むしろ目につく状態、病状が顕在化したら、それはすでに手遅れの状態であると思ったほうが無難だと思います。

2016年4月7日木曜日

病院のシステムが少しだけ改善されていたのだが

久しぶりに青空をみたような気がします。暖かい陽射しの中にこの世の春を謡うような満開の桜の花の下を、ちょっとだけ散歩してみました。思いがけずに最高の花見日和に遭遇したようであります。

昨日は4ヶ月に一度の眼科外来の日でありました。半端でない待ち時間には今さらながらに驚かされ、辟易しました。待ち時間は以前とほとんど変わらないのですが、4ヶ月に一度と間隔が伸びてしまっているので、もう以前のような切迫感がありませんから、より長く感じられてしまいます。
眼科の診療には、事前に瞳孔を開く薬が処方されます。これが問題なのです。これを点眼されてしまいますと、光の調節ができなくなり、持ち込んだ電子ブックの文字を読むことができなくなってしまいます。そうなると最悪であります。ただひたすら混雑する待合室の椅子にじっと座って待つしかなくなってしまうわけであります。10分に満たない診療を終えて外へでると瞳孔が光の調節ができなくなっているわけですから、外界はただただ強烈な白い光の乱舞であります。しばらくのあいだその場所に立ちすくんで画像がある程度形をなしてくるまで立ちすくまざると得なくなります。
それは帰宅してからも続きます。仕事をやろうとしてもディスプレーの小さい文字の判別に苦労してしまいますから夕方までほとんど仕事ができないという始末であります。
で、結局一日をわずか10分にも満たない眼科診療のために費やすことになるわけであります。ま、これも身から出た錆でありますから、誰に文句を言えるわけではないのですけれども。

ただ今回は病院のシステムで少しだけ改善されている点を発見しました。以前であれば医師の診察を終えれば、再び待合室に戻り会計に持っていく書類を待たなければなりませんでした。これも時によっては15分から20分ほどかかっていたのです。
それが診療中に医師が電子カルテに必要事項を入力してしまい。次回の予約も打鍵してしまいますと、必要書類が印刷されてプリンターから吐き出されます。それを会計に持ち込めば済んでしまうのであります。
ここで私は「おおー!少しはあたり前の事を考えたではないかと」旧態依然の病院システムの変貌に感動し、ヨロコビ勇んで会計所に行ったのでありますが、なんとそこには信じられないほどの人間が行列をなしていたのでありました。これをみて愕然としました。
まさかとは思いますけど、医師がプリントアウトしたデータを再度別のシステムに入力し直しているなんてことはないですよね。私は「うーん」絶句して黙りこんでしまいました。もっとも一患者がそんなことを考えこむ必要はないのですけれども、すでに診療科目は医師のもとで決定されているわけでするから、健康保険請求分とか自己負担分などというのは瞬時に計算されているはずであります。いくら処理量が多くて計算に時間がかかるといっても眼科から会計まで歩いて行くのに1,2分ですよ。いくらなんでもと・・・・・。
医師が一度入力したデータは徹底的に利用し尽くすのが原則だと思います。すべてオンラインになっていればレセプト管理から経理処理、税部処理、経営計画等々まですべて一貫してできるわけであります。それに今流行のIT技術を応用すれば、余計な事務処理部門・管理部門の合理化が達成できるし、将来的には税理士だっていらなくなるわけであります。
それに蓄積されたビッグデータを利用すれば、待ち時間が平均2時間で診療時間が10分足らずなんてことは解消されるはずであります。医師が足りないのであれば、管理部門を合理化して浮いた資金を優秀な医師や看護師を得る資金に回せるわけであります。
しかし、あの予約システムってのはなんなんでしょうかね。あんなもん1ヶ月も稼働していれば破綻しているのは誰の目にだって明らかなはずなのに、それを知りつつ何年も続けているというのは、なにか私たち素人にはわからない権益のからくりでもあるのではないかと疑ってしまいます。
ま、しかし、まだまだオマヌケなシステムだなと苦笑してしまいましたが、それでも少しは改善されているわけでありますからヨシとしなければいけないことでしょうね。



 

2016年4月6日水曜日

経験を積めばシンプルにならざるを得ない

まだまだ桜の花は持ちこたえていますね。私のところはちょっとだけ高台にあるので、そのせいもあるのかも知れません。などと書いておいて、外へでたら地面は散った花びらで覆い尽くされていたなんてことはあり得る話ではありますが、前線はかなりの勢いで北へ向っていることは確かであります。
このわずかな時期だけ「来年の春もこの美しい桜が見られたらいいな」と思います。花の散った後は大急ぎで若葉で身をまとってしまいますから、そんなことを思ったことも忘れてしまって日常に埋もれて暮らすことになってしまいますけど。

朝から珍しくコルトレーンを静かに聞いています。齢を重ねてきますと、大きな音がだんだんと苦手になってきますね。以前ならハードロックを爆音で聴き続けていても心地よさを感じていましたが、最近は大きな音を流し続けていますと、耳も疲れますが心もぐったりしてしまいます。たまには大きな音で聞きたいないなと思っても20分もしますと自然とリモコンに手が伸びてしまっています。ま、そのほうが近所迷惑にもならず平和な時を過ごすことができていいのですけれども。

車中泊での旅するのは私および家族は年季が入っています。もう40年近く続けていますからそのノウハウの蓄積も半端なものではありません。と自慢したいのですが、経験を重ねるごとにドンドンとシンプルになってきたので道具的には、基本できるだけ身軽にという結論に達したわけであるわけであります。もっともこの40年間に家電関係も大きく進歩してきたので大げさなものを持ち歩かなくても済むようになったことも確かなことであります。
例えば音楽を聞く場合でも、夕方酒を飲みながら音楽が聞きたいとなるわけであります。なんにもそんなところまで行っても静かに過ごせばいいではないですかなどと云われてしまいますが、そういう考え方もありであります。ただそれが長期になると話は違ってきます。北海道旅行は10日間ほどで3年連続で出かけました。そうなるとこれはいけません。最初は大型のカセットデッキを持ち込んだり、次にはCDラジカセと変わっていきました。最近はスマホだけになっています。装置も小型化してますが、そのソースもほとんど目にすることがなくなってきています。CDやカセットテープにしても狭い車内に持ち込むとなると結構邪魔になるものであります。
近年は妻と二人だけの旅が常態化してしまっています。子供らは子供らでそれぞれオートバイを駆使したり、彼女とでかけたりとそれぞれの旅を楽しんでいるようでありますけれども。
妻と二人で紀伊半島に出かけた時に、珍しく夕ごはんが遅くなってしまって、普段なら音響から照明もきちんと準備してから宴会を始めるのですが、とにかく疲れていたし、いつも晩酌の時間から大きくずれてしまっているものですから、頭のなかはとにかく「おちゃけのみたーい」でいっぱいでありますから、そそくさと呑み始めてしまいました。
ひとごこちしますと、やはり音楽が欲しいと思ったのですが、酔も手伝ってそこはかなく面倒くさい。そこでiPhoneを取り出してスピーカーなしで流してみるとこれがまたいいのです。iPhoneだけの音なんていうのはたかが知れているのですが、これがまた外の静けさとマッチしてなんともいえない雰囲気を醸し出すわけであります。そうかこんなもんでも充分に満足できるものだということを知ったわけであります。
暗い中でぼそぼそと、何を食べているのかもわからずの食事は嫌だなと思って、いつもはLED電球60ワットほどのものを用意してありますが、その時はやはり面倒で非常用のランタンひとつだけでありました。車の室内灯よりも暗いぐらいのものですが、無用に明るいよりもこれも周囲の闇とマッチしてなかなかいい雰囲気であります。焼酎のグラスがどこにあるかがわかればいいだけの話でそれで済むのだという結論に達したわけであります。

本日は経験を積めば積むほど持道具はシンプルになっていくという教訓でありました。