2015年1月11日日曜日

これが正解だという答えのない作業から逃れるすべはない

始めっからこれが正解だというものがないというものに毎日まいにち挑戦し続けるというのは、ある意味結構辛いものがあります。
学校の試験なら最初から正解か間違いかと決められているので、ある意味楽なのかも知れない。そう書いた瞬間に、「お前さんそんなに簡単だった試験でいつも四苦八苦した結果、ひたすら逃げまくっていたのは誰だったんだい!」という、もう一人の自分の声が問いかけてきた。
うーん、今、そのことに深入りすると若き頃の心がえぐられそうになるので、その部分は触れないでおくことにします。
どうも最近深入りしないという態度が多すぎて自分の浮薄さが全体に滲み出すぎているような気がしないでもないが、「どうしても頑張れない」という持病を抱えているのだからしょうがないことなのであります。
正解がないのだから、やってもやらなくても同じようなものだと思うが、どうもそうではないらしいということが、この歳になってようやく理解できるようになってきたようであります。
これが正しいというものがないから、自分でその正解を探さなければいけない。そのためには、自分でたぶん正しいと思うことをやってみて、それがダメだったら別の方法はないかと考え他の代替手段を実行してみる。結局、地味な試行錯誤の繰り返しを続けるほかはないということであります。

これらの作業は慣れるということは決してありません。常に迷いと不安の中にあり、きわめて孤独だということであります。この環境から逃れる手段はありません。だって、それは人生そのものなのですから。


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