2010年2月2日火曜日

白一色?

 唐突に雪の予報を聞いた途端にいつもよりは寒さをより強く感じるようになるようですね。降らなければいいなぁという気持ちと、久しぶりに白銀の世界を見てみたいなぁという気持ちが複雑に交錯する。特別にに雪を見てみたくて早起きしたわけではないのだが、どっちかというと「犬はヨロコビ、庭駆け回る」の心境でまだ夜の戸張の開けぬ表をそーっと覗いてみる。や、や、ふってる。つもってる。
 雪が積もっているのを確認してしまえば、夜のあけるのが楽しみになる。写真を撮らなければ。そうだいきなり冷えた大気の中にカメラを出すとレンズが曇ることを昨年の秋田の農場で経験しているので、急ぎ家の中では比較的冷えている玄関の上がりかまちところに準備しておいた。


 話はいきなり、妻の実家でみた冬景色に飛ぶ。あれはいつのことだったろうか、例年にくらべかなり雪の多い年で、雪のある冬に帰省するというのは正月しかないので、たぶん例年よりも雪の多い正月のことだったのだろう。雪国で空が白むのは結構遅い時間であるだろうから、午前8時をゆうにまわっていたと思う。雪かきをしてやろうと思いたち、外に飛び出した瞬間に目に飛び込んできたのは、一面真っ白にひろがる世界に、くっきりあでやかな真っ赤な南天の実の固まりであった。それはかなり衝撃的な光景であった。自分の意識のなかにすこしも、あでやかな赤のイメージがなかったので突如カミナリに打たれたような状態になり、しばしボーゼンと立ちすくんだ覚えがある。その光景が近年になって、「雪」というキーワードが頭に飛び込んでくると同時に頻繁に浮かんでくるようになった。最近はもういちど見てみたいと思いも強くなってきていることも確かである。

 と書き進んできて、またまた思い出してしまったが、白銀の世界での思わぬ「赤」というのはそれだけではなかった。幼いときに、山スキーをやりにゆるやかな丘陵地にでかけていった。しばらく滑っているうちに、果樹畑に迷いこんだのである。そのときに目についたのは数個の取り忘れられた真っ赤な林檎であります。このときの赤もかなり強く印象的に焼き付けられています。幼い子どもであったから当然にもぎとって口にしました。林檎は熟し切っており、冷え切ってシャーベット状になっているにもかかわらず、その甘さは乾ききった喉に染み渡り今でも忘れられない光景となっているのです。
 後年その話を幼なじみにしましたら、それは「取り忘れたのではなく、冬場を過ごす鳥たちのためにわざわざ農家が残しておいたものなんだよ」という話をきいて、ふたたび感動した。しかし、それはにわかには信じられない話でもある。林檎農家とのつきあいもないので確かめられる機会はないのだから、そこは無理矢理信じておいたほうが話とすれば美しい。

 白色の世界に「黒」という風景も焼き付いているもののひとつであります。私の郷里では葬式のときに行列を作って墓地にいくという風習はないけれども、親戚の葬式に参加したときであります。かなりの雪が降り続いているなか、葬儀の参加者が列をつくって、確か旗をもっている人もいたし、シンバル(ジャンとかいうものだと思う)を持っていた人もいたと思う。もうかなり前のことだったので定かではないですが、とてつもなく寒かったことは覚えています。降り続く雪の中は人々は寒さのなか一言も言葉を発することもなく粛々と進む葬列を「黒」というイメージで強烈に覚えています。

 毎日が雪のなかであれば、それはあたりまえのことで何も感じることもないのでしょうが、久しぶりに積もった雪をみてしまったら、いろんなことを思い出してしまった。やはり私は雪国生まれだったんだなとにわかに自分のルーツを確認させられたわけであります。


 この「Joe Bonamassa(ジョー・ボナマッサ)」リンクのページに飛び、下のほうにスクロールすると、「Joe Bonamassa(ジョー・ボナマッサ)」の映像がまとまって掲載されれいます。どれかひとつをクリックして演奏させますと、連続で全部の動画を動作させてくれます。どうやってやっているのかは私のスキルでは理解できませんが、動画そのものが厳選されていて、曲も抜群にいいものです。ここ数日は繰り返し聞いています。まだ面倒で全部を音源をダウンロードしたわけでありませんが、3曲ぐらいはここからダウンロードしています。最近は姑息にYouYubeからダウンロードするのも面倒になってきたので、アルバムを購入しようと思っています。
 もしですよ。このような動画が掲載されていなかったら、わたしは「Joe Bonamassa(ジョー・ボナマッサ)」なんていうギタリストを知ることもなかったし、アルバムをAmazonから購入しようなんて思いもしなかったでしょう。ここにネットでの商売と通常店舗での商売の違いがあるわけであります。

 かなり昔のことなんですが、ワープロ戦争というのがありました。当時ようやくパソコンが普及しはじめまして、パソコンはソフトが無ければただの箱なんだってようやく認識されはじめた頃の話であります。当時画期的にすぐれていたワープロソフトは管理工学研究所という会社から発売されていた「松」というものでありました。この会社はダントツに優秀な技術者を抱えており、ワープロ専用機が数百万する時代に確か12,3万円程度で売り出しました。そのソフトは革命的といっていいほどの優れものでありました。私は当時なけなしのお金を払って導入しました。この会社の技術が優秀だと書きましたが、その優秀な技術を使って絶対にコピーできないようにコピーガードをかけていたのです。むろん私なんかには歯が立ちませんでした。
 しばらくすると、「松」の半額程度の値段で、「一太郎」というワープロソフトが売り出されました。私はほとんど使ったことがなかったので「松」と機能の比較することはできませんでしたが、それがあれよあれよと売り上げを伸ばし、ほとんどの人も会社も「一太郎」を使うようになり、いつのまにか「松」なんてものはどこかの隅に追いやられて忘れ去られてしまいました。
 その原因はなにかといいますと、「一太郎」にはコピーガードがかかっていなかったのです。だから一般の人は悪いとはわかっていても、コピーしたものを使うようになったのです。日本中のPCには「一太郎」が入っている状態になるのにそう時間はかかりませんでした。もちろん値段の戦略に管理工学が負けたということもあるでしょうけど、実質無料で「一太郎」を結果的にバラ播いたジャストシステムの戦略勝ちだったわけであります。その時にジャストシステムが意識してノーガードで売り出したのか、破られないガードを開発できなかったのかはわかりませんが、とにかく大勝利に終わったわけであります。誰だって一度なじんだソフトをわざわざ変更したくはありません。だから企業もみんなが使える「一太郎」を導入することになっていくわけであります。
 「Joe Bonamassa(ジョー・ボナマッサ)」は偶然にYoutubeで知りました。かなり完全は動画アップされています。ここから先ははお金を出して買ってねなんていうものでないのがたくさんアップされています。誰がアップしているのかはわかりませんが、どうみたって関係者しか撮れない映像がたくさんあります。それではどこで利益をあげていくのでしょうか。
 私のここ数日のブログはかなりの部分を「Joe Bonamassa(ジョー・ボナマッサ)」について書いています。別にこれでお金が入ってくるわけではありません。それでも興味のある人はリンクをたどり見ることになります。千人の人が私のサイトにきて一人の人が見ただけでもその効果は絶大なものになるわけであります。「Joe Bonamassa(ジョー・ボナマッサ)」側は宣伝広告費をほとんどかけていません。それでもジワリジワリと広がっていくのです。
 となればですね。宣伝広告j費のかけられない中小零細弱小ごまめの歯ぎしりに近い会社だって、個人だって考え方だけを変えればいかようになれる可能性を秘めているということではないですか。最近すごくそのことを感じてしかたないのであります。


  • 第 1章 フリーの誕生
  • 第 2章 「フリー」入門
    • --非常に誤解されている言葉の早わかり講座
  • 第 3章 フリーの歴史<

    • --ゼロ、ランチ、資本主義の敵






  • 第 4章 フリーの心理学
    • --気分はいいけど、よすぎないか?
  • 第 5章 安すぎて気にならない
    • --ウェブの教訓=毎年価格が半分になるものは、かならず無料になる
  • 第 6章 「情報はフリーになりたがる」
    • --デジタル時代を定義づけた言葉の歴史
  • 第 7章 フリーと競争する
    • --その方法を学ぶのにマイクロソフトは数十年かかったのに、ヤフーは数ヶ月ですんだ
  • 第 8章 非収益化
    • --グーグルと21世紀型経済モデルの誕生
  • 第 9章 新しいメディアのビジネスモデル
    • --無料メディア自体は新しくない。そのモデルがオンライン上のあらゆるものへと拡大していることが新しいのだ
  • 第10章 無料経済はどのくらいの規模なのか?
    • --小さなものではない
  • 第11章 ゼロの経済学
    • --一世紀前に一蹴された理論がデジタル経済の法則になったわけ
  • 第12章 非貨幣経済
    • --金融が支配しない場所では、何が支配するのか
  • 第13章 (ときには)ムダもいい
    • --潤沢さの持つ可能性をとことんまで追求するためには、コントロールしないことだ
  • 第14章 フリー・ワールド
    • --中国とブラジルは、フリーの最先端を進んでいる。そこから何が学べるだろうか?
  • 第15章 潤沢さを想像する
    • --SFや宗教から、(ポスト希少)社会を考える
  • 第16章 「お金を払わなければ価値のあるものは手に入らない」
    • --その他、フリーに対する疑念あれこれ
 そして、私は再びこの本を読むことにしたのです。一度読んだぐらいじゃ、この錆びついた頭にはさっぱり入ってこないし、理解もできませんからね。それに大枚1800円も支払っているわけですから勿体ないです。この本私には珍しく新品を購入したのであります。もっとも購入当時は中古本は無かったのかも知れません。

ポール・バターフィールド・ブルース・バンド

The Paul Betterfield Blues Band


ポール・バターフィールド・ブルース・バンドからの以下一部抜粋
<アメリカ人の知らないアメリカの音楽>
 1960年代、英国からやって来たブリティッシュ・インベイジョンの波がアメリカを襲ったとき、ほとんどのアメリカの若者たちにとって、ビートルズやストーンズのアイドルだったブルース系アーティストたちは未知の存在でした。当時、音楽業界においての「ブルース」は、あくまで黒人たちを購買層とする特殊な音楽であり、だからこそそれらブルース系のレコードを40年代までは、レイス・レコード(Raceとは、人種、民族のこと)と呼んでいたくらいなのです。
 ところが、そんな人種分離政策などまったく関係ないイギリスの若者たちにとって、ブルースやR&Bは、最高に格好良い音楽でした。だからこそ、ビートルズ、ストーンズ、キンクスらのバンドは皆、そんなブルース、R&Bのカバーからスタートしたのです。

<例外的アメリカ人の存在>
 そんなわけで、アメリカの多くの若者たちは、イギリスからの逆輸入というかたちで、自らのブルース、R&Bと出会うことになったわけです。
 しかし、そうは言っても、ブルースの故郷アメリカは巨大な国です。例外的な白人の若者も中にはいました。その中の一人が、白人ブルース・ハープの第一人者と呼ばれ、アメリカにおけるブルース・ロックの先駆者となったポール・バターフィールドです。


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