2010年2月1日月曜日

ドーンと花を植えるのじゃ

 ここらあたりで、ドーンとなにか新しいお絵描きをしなければいけないんじゃないか、なんて寝起きボケた体にコーヒーを無理矢理流し込みながら思った。お絵描きもそうだが、やりはじめたJavaScriptのお勉強だってやらなければいけないんじゃないか。となんかやらなければいけないことばかりを思い出してしまった。以前にもJavaScriptをやりかけたことがあったんだけども、プログラムの例題が、文字列が横に流れるとか、カレンダーを表示するとかというものであって、なんにもわざわざこんなもん作らんでもいいなと思い放り投げたことがある。今思うと投げ出すのが少々早すぎたような気がする。もっともっとどんなことができるのかじっくりと研究してからでも良かったのではないかと後悔している。

 作りかけのホームページもなかなか進まない。最初1ページだけに文字列怒濤のごとく流し込み、それを少しづつ分割していくという方針を取った。当初の目論見どおりに文字列だけをテンコ盛りにしたことはしたのだが、文字列だけでもかなり重くなり、それでは最初の計画どおりにページ分割するかとなり、分割をやりはじめた。

 そこで、とんでもないことに気づいた。オレのように駄文書き屋にとって、文字列で埋めるというのはさほど大変なことではない。ただ思いつくままにキーボードをひたすら打鍵していけば済むことなのだから。問題は編集にあった。編集するにはそれなりの編集技術というものが必要なのだということを始めて気づかされてしまった。
 それにもともとが駄文なだけにいざまとめようとすると、四苦八苦の無限地獄に堕ちてしまったのだ。世の中に編集者というものが存在するのは知ってはいたが、何をやっているかが良くわからんかったが、今はすんごく理解できるようになった。当然編集者よりは編集長なんてのは一番エライのだと思う。しかし、この地獄いつまで続くのだろうか。これもまた放り投げてしまいたいような気になってしまう。

From
 とうとうというか、2月に入りましたね。今農園は深い雪のなかにあるから、手出しができない。手出しができないから案外いさぎよく諦めることができて、かえっていいのではないかとも思う。おそらく3月のなかば頃には雪も消えかけて農園に車で入れるようになるのではないかと思う。確実なのは4月ですね。
 秋に田んぼに菜の花の種をばらまいておいた。たぶん桜の花が咲く頃には黄色の花が一面に咲き誇るだろうと期待している。昨年菜の花を植えるときにホームセンターでタネを購入したのだが、最初1500円ぶんぐらいを播いたのだが、これではあんまりにも貧弱じゃないかと思い直し、さらに3000円ほどドーンと買い足した。菜の花を植えるにも結構お金がかかることに気がついた。できれば全部の花からタネを採取したいと思っている。そうすれば来年にはほとんどの田んぼ一面にドーンと菜の花を植えることができそうな気がする。
 次に植えたいのはヒマワリですね。これも大量にドーン植えると壮観だろうなと思う。ヒマワリの次はやはりドーンとコスモスですね。こうして書いていくと、なんかやたらに群生する花が好きなのかもしれない。それも枕詞に必ず「ドーン」がついてくるものが

相棒やっちゃんの母親に蛇蝎のごとく忌嫌われてしまった。ひえーー

この部分あとで書く。この話はあまりに深刻で悲惨なので、迂闊に書き進めることができない。

 自分に降りかかる災いの萌芽というものは、えてして自分の預かり知らないところから始まってくるのかも知れない。昨日の夕方ようやく二日酔いから開放されつつあったので、パソコンを開いてお気に入りのブログを見てまわっていた。ふとメールのタグをみると1通の新着メールが飛び込んできているのが目についた。それは農園オーナーのおくちゃんからのものだった。
 それによると相棒のやっちゃん本格的に就職活動を始めて、そのなかの1社から早々と内定の通知もらったのだそうだ。それをやっちゃんはかるーく断ったのだそうだ。そこまではいい。
 そりゃあ気に入らなかったら普通に断ったってなんら問題がない。しかし、しかしだ、その話を聞いたやっちゃんの逆上母親がその理由を問い詰めたらしい。そしたら、そしたらだ・・・・・・。なんということでしょう。
 「ぽー叔父さんとの男の約束もあるから断った」ときっぱりと言い放ったらしい。あちゃあ!!、普段でもすぐにやたら逆上気味な彼の母親は怒り心頭に達して、ともかくユルセネェあのウスラバカぽーとなったのだそうだ。オソロシイ、もうこの世のものとは思えないようなイカリ女の顔が見えるようである。ゲにおそろしや。誰か助けてくれ。

2010年1月28日木曜日のブログに以下のように書いた。
From Web
 昨年農場で一緒に働いた相棒のやっちゃんが求職活動を始めたという情報が入ってきた。これは緊急事態だ。彼の若いパワーがあったから農作業を続けることができたのだ。その大きな戦力がすっぽりと抜け落ちるというのは農園にとっては重大なことである。重大なことではあるが誰が彼の戦線離脱を責められるというのだ。このまま農業を続けていって果たして食えるようになるだろうかという疑問が常につきまとう。夢ばっかしでは食っていけないことは確かであるのだから。彼が抜けるとなるとトラクターの運転も自分でしなくてはならなくなるのか。あんましやりたくないんだよね。若いときだったら喜んでやっただろうけども。ここに日本の農業の問題が浮き彫りにされてきてますね。それほど大げさなことでもないか。
 はやい話がわたくしぽーはまったく戦力にはならないということでありますね。農作業しているあいだに、どこに天幕をはる場所を作るかとか、焚き火する場所も欲しいなとか、一面に菜の花を植えたらきれいだろうなとか、ひまわりにもいいな。コスモスだって秋になればいいだろうな。なんてことばっかし考えているわけですから、大根が何本採れようが、ナスときゅうりが育とうがあんまし関心がないのだからしょうがない。それに体力がまったくないですからね。いやはや、今年の農園は雪がたんまり積もっているうちからかなり怪しいことになってきているな。

 アリバイ工作ではないが上の文のなかでも
その大きな戦力がすっぽりと抜け落ちるというのは農園にとっては重大なことである。重大なことではあるが誰が彼の戦線離脱を責められるというのだ。このまま農業を続けていって果たして食えるようになるだろうかという疑問が常につきまとう。夢ばっかしでは食っていけないことは確かであるのだから。
 と書いているじゃないですか。でもこんなことでは到底通じるような相手でないしな。逆上女はコワイけど、やっちゃんの言葉は嬉しかったな。で、昨夜は二日酔いしたばっかりだから酒を呑むのは控えようと思っていたのだが、ついつい呑んでしまった。
「逆上女の報復が怖い、けどやっちゃんの言葉は嬉しい」酒が進むにつれて、コワイがウレシイ、ウレシイがコワイとなってヘロヘロに酔い潰れていったのでありました。


Youtubeの画像は良いのと悪いのが混在しているから、見極めるのが結構大変です。

Joe Bonamassa(ジョー・ボナマッサ)

来歴
ニューヨーク州ユーティカで生まれた。11歳のとき、カントリー・ミュージシャンのダニー・ガットンの下で、カントリー、ジャズ、さらにはハードロックについて学んだ。ガットンのバンドに加わることもたびたびあった。12歳でB.B.キングの前座を務めるようにもなった。14歳になって、フェンダーギターのイベントに参加して、その時にベリー・オークリー・ジュニアと出会った。ボナマッサとオークリーは、マイルス・デイヴィスの息子であるエリンと、ロビー・クリーガーの息子であるウェイロンを誘って、ブラッドラインを結成した。彼らはアルバムを1枚とヒット・シングルを2枚発売すると、すぐに解散した。
2000年にボナマッサはトム・ダウドによるプロデュース作品、ア・ニュー・デイ・イエスタデイと共にソロデビューを果たした。すぐに、ドラマーのケニー・クラーム、及びベーシストのエリック・ザー共に、プロモーションツアーを行った。
ツアーを終えるとすぐに、2枚目のアルバムとなる、ソー・イッツ・ライク・ザットをクリフ・マグネスのプロデュースの下で作った。このアルバムは、前作よりも古いロックの要素を取り入れて、ビルボードのブルース・チャートでは1位となった。
2003年に発売した3作目のブルース・デラックスは、好意的な評価を得た。この年はアメリカ合衆国議会によってブルースの年と定められており、このアルバムはこの事実を支えるために発売された。収録されたうち9曲が古いブルースの曲であり、ボナマッサの自作曲は3作のみであった。前作と同じく、ビルボードのブルース・チャートで1位を得た。
2005年に発売したハトゥ・トゥ・クライ・トゥデイでは、ソー・イッツ・ライク・ザットのような古いロックの要素を改めて取り入れた。2005年後半になり、それまで共にしてきたバンドと決別して、新たにベーシストとしてマーク・エプスタイン、そしてケニー・ウェイン・シェパードのドラマーであったボギー・ボウルズと組んだ。
2006年には、5枚目のアルバムとしてユー・アンド・ミーを発売した。このアルバムでは、有名なスタジオ・ミュージシャンを数名起用した。ジョン・ボーナムの息子であるジェイソン・ボーナムも、その一人である。ビルボードのブルース・チャートで1位を獲得した。
スロー・ジンは、2007年8月の発売から10週間以上に渡って、ビルボードのブルース・チャートに残った。今までのアルバムとは異なり、ここではアコースティック・ギターを使用した楽曲が増えている。この時期には、ツアーバンドのベーシストがカルミネ・ロハスへと変わり、リック・メリックがキーボードとして加わった。彼らは、ユー・アンド・ミーとスロー・ジンの録音にも参加した。
2008年11月9日、ボナマッサはイギリスのラジオ局でDJをつとめた。この中で彼は、B.B.キング、マディ・ウォーターズ、ロリー・ギャラガー、そしてエリック・クラプトンなどをかけた。
同じ年の11月、ボナマッサは翌年5月4日にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでコンサートを行うことを発表した。チケットは1週間で完売した。彼はこのコンサートを「20年間のキャリア総括」と表現した。
日本公演
2008年
12月16日(火)東京 ヤマハ・アコースティックギター・クリニック Player On-Line
2009年
9月12日(土)福岡 Gate's7
9月14日(月)大阪 BIGCAT
9月15日(火)東京 ブルース/ロック・ギター・スペシャル・セミナー Tokyo Band Summit
9月16日(水)東京 UNIT
日本公演
ジョー・ボナマッサは日本のレコード会社との契約を結んでいない。そのため、どのアルバムにも公式の邦題は存在しない。
ブラッドライン
ブラッドライン - Bloodline(1994年)
ジョー・ボナマッサ
ア・ニューデイ・イエスタデイ - A New Day Yesterday(2000年)
ソー・イッツ・ライク・ザット - So, It's Like That(2002年)
ア・ニューデイ・イエスタデイ ライヴ - A New Day Yesterday, Live(2002年)
ブルース・デラックス - Blues Deluxe(2003年)
ハトゥ・トゥ・クライ・トゥデイ - Had To Cry Today(2004年)
ユー・アンド・ミー - You & Me(2006年)
スロー・ジン - Sloe Gin(2007年)
ライヴ・フロム・ノーウェア・イン・パティキュラー - Live From Nowhere In Particular(2008年)
ザ・バラード・オブ・ジョン・ヘンリー - The Ballad Of John Henry(2009年)
ザ・ベスト・オブ・ジョー・ボナマッサ(日本のみ)(2009年)

 
 今日は東京近郊でも雪が降るの予報がでています。夜半から明け方まで振れば5cmほどらしいです。雪が降る前に用事を済ませておこうかな。やらなければならないことは山ほどあるのに一向に進まない。部屋の中もかなり乱雑になってきた。試し印刷した紙や、読み散らかした本が重なりちらかっている。それらの山をみてはやらなくてはなと力なくつぶやく。

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