2009年5月28日木曜日

都会拒否症が久しぶりの秋葉原へ 駅までのモンダイ

 本日は久しぶりに東京へ出なければいけません。内心はできればいきたくないのです。東京といっても私の「東京」は秋葉原なんですけど。以前は秋葉原と聞けば胸踊るところもあったのですが、あの事件があってから自分の第2の故郷だとも思っていた秋葉原がなんだかずーっと遠い存在になったような気がします。
 以前にサラリーマンらしいことをやっていたときは、毎日秋葉原駅を利用していました。勤務先は神田警察の裏で東京電機大学の近くで、最寄りの駅は神田駅かお茶の水だったのですが、わざわざ秋葉原駅を朝夕に利用していました。歩いて2分ぐらいのところにミズノスポーツを始めアウトドアの店が軒を並べ、楽器屋もおおく、5分も歩けば神田古書店街という素晴らしい場所にありましたね。それこそ毎日デズニーランド状態で楽しくて楽しくてしょうがないサラリマン生活でありました。会社にいる時間よりも周辺を徘徊している時間のほうが長かったかも知れません。もう時効だ。

 現在は飲食店も爆発的に増えましたけど、私が愛してやまなかった秋葉原には数えるほどの飲み屋しかありませんでした。それでも秋葉原に固守して少ない飲み屋を渡り歩いていたことを思い出します。
 神田界隈に秋葉原に御徒町・上野周辺は私が第2の青春として過ごした懐かしい街でありますが、最近はよほどのことがないかぎり自ら出かけようとは思わないのであります。

 そういえばLaoxコンピュータ館もなくなってしまったと風の噂に聞いたのですが、時代の流れといいながらも、すごく寂しいことですね。Laoxコンピュータ館にはお世話になりましたね。最初にLANの配線を教えて貰ったのもここですね。まだ世の中にはパソコン同士を繋ぐという発想がないときにいち早くLANコーナーを設けていました。
 ここでLANの仕組みを教わって自前で社内にLANケーブルを張り巡らして、初めてパソコン同士がつながった時の感激は今でも忘れられません。当時の会社の規模からしたら最先端をいってたと自負してましたね。ピアツウピアでしたけれどもね。

 私の最大の目的は当時会社で幅を利かせていた富士通のオフコンを市販されている安価なデータベースソフトを駆使して完全駆逐することでありました。担当している販売代理店の糞生意気なコボラーを一掃することに萌えていましたね。
 当時は敵を知らなければと思いシステム室にあった膨大なオフコン関係のマニュアルやコボル言語に挑戦しましたが、あえなく敗退しましたね。今だったら大丈夫のような気がしますが時すでに遅しで気力も体力もなくなってしまっています。それにオフコン自体が過去の遺物になってますからね。

 秋葉原にはかなりの金を注ぎ込みましたね。高級外車1台ぐらいの資金を投入したかも知れません。関係する参考書は手当たり次第で目方で買ってるのかとよく揶揄されましたからね。

 いかに都会拒否症になっているとはいえ、「秋葉原」のキーワードにはかなり反応してしまいますね。やはり心の真底では愛しているのかも知れない。

 問題は駅までどうするかです。以前なら何も考えずに徒歩を選択しましたが、当時は体力もあり20分から15分の早さで歩けたのであります。サラリーマン時代は往復なんの疑問ももたずに歩いていた。今は歩けば40分以上は軽くかかるのではないかと。それに駅にたどり着いても疲れ切ってしまって倒れてしまうのではないかと心配になります。
 これほどの惨状を呈する自分の体力を鑑みずにバックパッカーを目指すというのだからとんだお笑いぐさですね。なんとかしなければと焦りつつも時間だけは容赦なく過ぎていく今日この頃であります。
 それでも、バックパッカーの夢は捨てない。いかに困難なことでも捨ててしまったら、決してその夢は実現しない。捨てないことによっていつかは実現する可能性は大きいのだから。たとえ実現不可能と思われる夢でも持ってる分にはなんの負担にもならないのだから。

笑らわば笑えホトドギス なのだ ん?なんのこっちゃあ

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