2009年2月11日水曜日

桧枝岐村は平家の落人の子孫では無いとする説

From oze-10
都合の悪い話がでてきたのでありますが、ここは公平を期すために書いておかなければなるまい。これまで桧枝岐村は平家の落人だと信じて胸がワクワクしていたのですが、桧枝岐民俗誌によれば

この村が深い山中の村であること、色白でふくよかな美人の多いこと、きれいな発音で昔の侍言葉に似た話し方をすることなどの理由から、桧枝岐村は平家の落人の子孫だと信じている人々が少なくない。十一世紀から十二世紀の初めにかけて日本には源氏、平氏の二大武士団が覇を争っていたが、千八百十五年に香川県壇ノ浦で平氏は敗れ亡んだ。そうした歴史譚は日本の有名な戦争文学の一つである「源平盛衰記」や「平家物語」などの物語を生み、西欧の吟遊詩人に似た琵琶法師によって全国すみずみまでに語り歩かれたので、書物以外の民間口承文芸として伝播したものが、各地に土着して平家伝説を生ぜしめたのである。かうした事情は、正しい日本文学史を学んだ人々ならば、くわしい説明を待たなくても解っていることである。だが、この村が平家の落人の子孫によって形成されたものでないことは、この村の価値を少しも低めることにはならないのである。

「かうした事情は、正しい日本文学史を学んだ人々ならば、くわしい説明を待たなくても解っていることである。」たったこれだけのことで「この村が平家の落人の子孫によって形成されたものでない」と断じていることこそ問題があるのではないかと思うのだが。
正しい日本文学史っていったいなんなんだ。

返せ13000円!
だあれ?そこで笑っているのは、そうか牧原か!オノレ!!

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