2008年9月21日日曜日

川の流れる音って不思議です。檜枝岐村 七入オートキャンプ場


 七入オートキャンプ場は川の側に位置しています。川の名前をまだ知りませんが、たぶん檜枝岐川なんていうのかも知れません。そういえばこの川がどんどんと流れていった先がどこになるのかもわかっていませんね。この文を書くまでそんなことを考えたこともありませんでした。そんなもんですね。当然最終的には海に流れ込むのでしょうけれども。あまりに上流にあるので、最終的な川がどれなのか見当もつきません。もしかして近くにある只見ダムに流れるのかも知れない。それで只見ダムの水ってのはどこへ流れるのでしょうか。新潟方面の日本海なのか福島側の太平洋なのでしょうか。これ調べて見る必要があるかも知れません。

 ちょっとだけ調べました。やはり檜枝岐川でいいんですね。しかしそれは伊南川の俗称らしいです。正式には伊南川ですね。それとまだはっきりとはわかりませんが、只見ダムと深い関係にあるというのもわかりました。そして只見ダムの水は阿賀野川に流れ込むようであります。その檜枝岐川の水源はどうも尾瀬沼らしいです。ところでその阿賀野川ってのは?たぶん新潟を流れる川ですね。

・尾瀬 ・奥只見ダム ・檜枝岐村 ・阿賀野川

 キャンプに行ってる間、ほぼ毎日しかも一日の大半を川の流れる音のなかで過ごしていた。3度ほど夜中に雨に降られたが、川の音なのか雨音なのか俄には判別がつかないほどの大きさなのであります。当然ながらその川音は終日途切れることがありません。もしあの場所で突然川音が途切れたらかなり恐いかもしれない。

 朝、目覚めたときに川音に気づき、あれ?今日は雨かなと錯覚して、表を見ると晴れていたりしています。それほどの大きさの音なのですが、不思議なことにまったく気にならないのであります。川の音がうるさくて眠れないなんてこともなく、そのうちに結構大きな音にもかかわらず気がつけば、ああ、川の近くだったんだな。なんて感じになってしまいます。
 川のせせらぎの音なんて書こうと思ったのですが、せせらぎってのはもう少しこじんまりとした川音を言うのではないかと思いました。どうも檜枝岐川の川音はせせらぎにはほど遠いような気がします。どのぐらいの音量をせせらぎっていうのか私的には判然としてないのであります。

 住んでいる近くに川が流れているってのはいいですね。なんだかすごく豊な気がします。私の居住している市川市にも江戸川が流れています。歩いて20分ほどのところですが、檜枝岐川と違ってもうすぐ海というところですから、流れる音なんてほどんど聞こえません。水量も多いです。ゆっくりのんびりと流れているように見えます。ときどき散歩に出かけますがあの開放感はなんともいえないものがあります。上流でも下流でも川があるというのはとにかく豊でです。
 その豊かな川を相手に釣り人は日がな一日竿をさす。これほど贅沢な時間って無いのではないかと思い始めました。釣れてもつれなくても贅沢ですね。上記の写真は怪しい名人会のヨダさんです。この時にあれよあれよというまに6匹ほどの岩魚を釣り上げました。そして私にむかってのたまったのです。「ね!簡単でしょ」簡単じゃない簡単じゃないって・・・・・。

 昨年檜枝岐から奥只見ダムを経由して、コシヒカリで有名な魚沼を抜けて長野経由で帰宅したことがあります。その時に出会った信濃川ってのもかなり印象に残っています。うまく言えないのですが、かなり感動した覚えがあります。それと一番好きな川は北上川ですね。平泉周辺の北上川しか見ていないのですが、雄大で大陸的な感じがしました。もっともただの一度も大陸の川なんて見たこともないのですが。故郷を流れているのは日本3大急流のひとつ最上川であります。たぶんその最上川を見慣れていたせいでまったりと流れている北上川を見て異質なものを感じたのかも知れません。
 この部分書き終わってから、あれ?信濃川だったけ、千曲川だったけとかなりあやふやになってしまいました。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に「信濃川(しなのがわ)は、新潟県および長野県を流れる一級河川。信濃川水系の本流である。このうち信濃川と呼ばれているのは新潟県域のみで、長野県にさかのぼると千曲川(ちくまがわ)と呼称が変わる。」とありましたから、千曲川ですね。大きな川になると名前が変わるのがありますから油断できないですね。

 キャンプ場の川音の話から出発したのですが、考えてみると結構川が好きなんだなとあらためて思いました。こうしているうちにもあの檜枝岐川の音が今も聞こえてくるようで懐かしいです。

檜枝岐村長選挙・村議会


檜枝岐村の説明を読んでいましたら、以下のような書き込みがありました。


* 村長:星 光祥(2007年(平成19年)5月1日就任)

1963年の村長選挙は立候補した二人が義理の兄弟で親族を巻き込み村を二分した激戦になり、しこりが残ったといい、それ以降はその様になることを嫌って、1967年から2003年までは10回連続で村長は無投票当選となっていた。2007年には候補者が2人出現したため、無投票とはならずに村長選挙が行われたが、ポスターや演説が行われない選挙活動で選挙が行われた。 また、村議会議員は民宿などの宿泊施設の経営者で占められている。

 小さな村ではあり得ますよね。しこりは残りぱなし残るでしょうね。村議会議員の宿泊施設の経営者で占められているっていいますけれど、土地は少なく農業に適していないし、林業も廃れてしまっていますから、基幹産業って観光業なんですからそうなるのは当然ですよね。
 小さな村って簡単にいってしまったけど、どのぐらいの規模なんでしょうか桧枝岐村の公式ホームページによりますと平成18年4月1日 世帯数203 男317人 女320人 合計637人とあります。この人口でまだ合併もしないで頑張っているのはかなりエライと思いますね。
 ついでだから自分の住んでいる市川市についてもググって見ました。平成20年9月1日現在で世帯数216,437男242,291人 女230,419人 合計472,710人となっています。
 世帯数216,437対203では1066分の1となり、同じ自治体といえどもこれほどの違いがあるのかと驚いてしまいます。

 これは本当に桧枝岐は頑張っているとしかいいようがないですね。頑張れちいさなちいさな桧枝岐村

観光立村を目指している檜枝岐村



檜枝岐村長さんが以下のように書いています。

京言葉を連想させる方言をその訛りの中に含み、平家落人伝説の残るこの村は周囲を2千メートル級の山々に囲まれ、役場所在地の標高が940メートルという山間高地にあり、人口密度が日本一低い村であります。わずかな耕地を耕しながら狩猟漁労に生活の糧を求め、厳しい雪深い山村に住み着いた先祖はどこから来たのでしょうか。
以来連綿と続く歴史の中で、手彫りの墓石や石仏を残し、260年以上続く檜枝岐歌舞伎を今に伝え、山人(やもーど)料理に代表される独特の山村文化を育んできました。
そして、わが国の経済発展は尾瀬を擁するこの山間の村にも恩恵をもたらし、多くの民宿や旅館が営業し、観光の村と呼ばれるようになりました。
しかしながら、長びく景気の低迷、少子高齢化、過疎化の波はこの村にも容赦なく襲い掛かっています。
 昭和40年代以降40年間この村は外的要因によって大きく様変わりしましたが、幸い先人たちの知恵でバブル期にも安易に外資を入れることなく経過できました。もう一度昭和の30年代の田舎に戻り、自分たちの村を自分たちの手で作ってゆく道を選択したいと思っています。観光が村の基幹産業であることに変わりはありませんが、都会に迎合するのでなく、畑を耕し、山の山菜を取って村流の料理を提供し、村の時間で山村の文化を感じていただけるような取り組みを進めて行きたいと思っています。 昨年8月30日には尾瀬が単独の国立公園に指定されました。本年8月30~31日には自然公園ふれあい全国大会が当村をメイン会場として開催されることとなっており、地元として大変喜ばしいことであります。
村民はこれまで以上に自然環境の保全と維持に力を注ぎ、自分の裏庭であるこの美しい自然を次世代に残していかなければならないと強く心に刻んでおります。

 やはり平家の落人が作った村だったのですね。しかし「京言葉を連想させる方言をその訛りの中に含み」とありますが、都落ちをしてあの山の中まで逃げたというのはもの凄いことですね。私は関東あたりの平家が落ち延びたぐらいにしか考えてなかったのですが。「平家にあらずば人にあらず」と隆盛を誇ったのですから、関東にだって当然平家はいたのだと思いますが。そうか、関東の平家だって京言葉ぐらい使っていたっておかしくないですよね。都からあの檜枝岐村まで落ち延びていくなんてのは不可能のような気がするのですが。このあたりどうなんでしょうかね。
 道路がものすごく良く整備された現在だって檜枝岐村に関東からいくのは結構大変ですからね。当時は獣道以外はなかったですから尚更のことです。
 檜枝岐村の中に多くのお墓があります。その墓碑銘を見ると圧倒的に星さんと平野さんが多いです。他に橘さんもあります。ほとんどはこの3つの名字しかないような気がします。たぶんこの3つの名字は平家ゆかりの名字なんだと推測するのですがどうなんでしょ。
 考えてみるとこの村の人々は由緒正しいんですよね。私なんか源氏なのか平氏なのか蝦夷なのかまったく素性がまったくわかりませんからね。氏素性が判明したからといってまったく関係ないのでありますが。

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